文字サイズ: 12px 14px 16px [夏の終わりのその後で]

「こら、さっさと起きんか。もう昼になるぞ」
 そう言って、久しぶりの休日に二度寝の素晴らしさを心ゆくまで味わっていたを叩き起こしたのは見慣れない老人だった。始めはぎょっとしたが、そういや、こないだも人の家と自分の家を間違えて入ったおじいさんがいたな、と思い直す。
「若いくせに家の中でだらだらしおって。ほれ、さっさと起きて外で『すぽおつ』でもしたらどうだ」
 『すぽおつ』って。思わずそう突っ込みかけただったが、ご老人が頑張って言ったんだと思い、布団から顔を半分出してはいはいと適当な返事をする。
「あのですね。どちら様か知りませんけど、ここはおじいちゃんのおうちではありませんからね。どちらから――あれ?」
 そこまで言ってははた、と止まる。よく考えたらこの老人はどこから入ったのだろうか? 玄関は閉まってるし窓は、と目をやってひらひらと風に揺れるカーテンが目に入る。そうだ。風があまりにも気持ちよかったから網戸にしていたんだ、と思い出して。
「どうかしたか? あと、私は『おじいちゃん』などというもんではないからな。何を隠そう、この私こそ元神……」
「ああ、はいはい。『もとかみ』さんね。それで、『もとかみ』さんのおうちはどちらなんですか? 家族の方は心配されてないんですか?」
 投げやりにそう言うと『もとかみ』さんは非常に気分を悪くしたらしい。ふん、と誰かさんと似たような声を出してを睨みつけ「まったく、最近の若いもんはなっとらん」と言う。だがはまったく気にしておらず、とにかく警察に電話して保護してもらおう、と考える始末だ。
「まったく。私は昨日からここにいたんだぞ。気付かんかったのはお前の方ではないか」
 話しかけても無視するしのう、と恨みがましく言われても、の様子は特に変わらない。きっと記憶があやふやなんだろうな、と思うくらいで、さて、電話の子機がここらにあったはずだ、と布団の中から手を伸ばし探るが、こんな時に限って見つからない。
「何か探しておるのか?」
「電話です」
「それなら、ほれ」
 そう言って『もとかみ』さんはご丁寧にも、の手に子機を握らせてくれる。
「ああ、どう――も?」
 受け取ろうとした自分の手と、それから子機を握っている老人の手を見ては目を丸くした。この手に見覚えがある。かなりしわくちゃではあるが、昨日、舞空術の練習の時に、の胸ぐらを派手に鷲掴みしてくれた誰かさんの手と、色といい、爪の色といいそっくりだ。
 そう気付いたとたん、は起きたての脳をこれでもかというほど稼動させて考える。前にも同じような状況があった。そう、あれは確か夏の終わり、今から一ヶ月ほど前のことだ。同じように目を覚ましたら誰かがいて、その誰かはちょっとした理由でとあるナメック星人から切り離されてしまった人で、そしてその原因のナメック星人にはもう一人同化した人がいて――。
「わかった。『もとかみ』さんじゃなくて『もと・かみ』さんなんだ」
「そうだ。ようやく頭が回ってきたようだな」
 うんうん、と頷いてはベッドの上に起き上がった。そしてこう口にしたのだ。「じゃあ、神殿までご一緒しますから」と。つまりは神殿までとっとと帰ってピッコロと同化してくれ、ということだ。しかし、そこまでする必要はなかった。
「おい」
 聞きなれたドスの効いた声。それにが振り返るとちょうど網戸に手をかけ、宙に浮いている男の姿があった。
「あ、ピッコロさん。神様迎えに来たの?」
「ふーむ。私を迎えに、のう」
 にやにやと笑った元神にピッコロは舌打ちで答える。
「まったく、どうなってやがるんだ、この部屋は」
 例の一件以来、誘われてもピッコロはの部屋に上がろうとはしなかった。よほどあの時のことが辛かったのか、アパートに近付くのですら嫌がるほどだ。しかし、昨日は修行の途中で飲み物が切れてしまい、悟飯と一緒に渋々この部屋へとやってきた。そして何事もなく修行を終えて神殿へと戻り一晩が明けて――。ところが今朝、デンデにふと質問をされて、当然のことのように答えようとしたその時異変に気付いた。どれだけ思い出そうとしても答えが思い出せないのだ。いや、記憶にない、と言った方が正しい。いったいどうしたのだと自室にこもっていろいろ考えているうちに思い当たったことが一つ。だが、あの部屋には断じて入っていない、と打ち消して、そこでふと思い出したのだ。
 昨日、ピッコロも喉が乾いているだろうと、は部屋の中からピッコロにミネラルウォーターのペットボトルを投げて寄越した。本人曰くスーパースペシャルミラクルナイスコントロールらしいが、そのスーパー云々で投げられたペットボトルはピッコロに届かず、ぼこんと音を立ててソファの前に置かれたテーブルの横に落ちた。その時、思わず部屋の中へと入ってそれを拾い上げたのだ。
 まさかあの時。そう思ってピッコロは青くなった。まさか、あのたった十数秒の間にピッコロの中から神は抜け出してしまったというのか。
 別段、神の力が今更欲しいわけではない。デンデに教えられることがなければ、そのままピッコロは神殿を後にすればいいだけだと考えてはいるが、それよりも何よりも、神を野放しにしておくと、自分にとって何か良くないことが起こりそうな予感がする。いや、絶対に起こる。そう考えてピッコロは神殿を飛び出し、今に至る。
「さあ、とっととオレと同化してもらおうか」
「それが人に物を頼む態度か。まったく変わらん奴だ」
「うるさい、黙れ! とっとと戻れ!」
「なんだと? 仮にも私はお前の親の片割れだぞ! その言い草はなんだ! だいたいお前は昔から――」
 ピッコロはわかるが、元神まで気が短いのか、とはうんざりした。しかもこんなに大声で怒鳴り合われては、近所迷惑もいいとこだ。
「ええい! 説教なんてしてる暇があったらとっとと同化の準備をしろ!」
「ふん! そこまで言われたら余計にする気が失せるわい!」
「何ィ? だいたい貴様が――」
 その時、ドンドンとドアを叩く音が聞こえて、三人はぴたりと動きを止めた。続けてもう一度ノックの音。それにはっとがドアの方へと駆けていく。
 様子を見ているピッコロと元神にもが謝っているのはわかる。何度も頭を下げて「本当にすみません」と繰り返すうちに相手もさすがに悪く思ったのだろう。「こちらこそ」と頭を下げて行ってしまった。だが、ドアを閉めてくるりと振り返ったの顔は暗い。
「ほら、見なさいよ。あんたたちのせいで怒られちゃったじゃない」
「す、すまん……」
 どちらともなく謝ったナメック星人二人を前に、はやれやれとため息をついて。
「私ね、模範的な住人だって褒められてるんだから。ゴミもちゃんと分別するし朝出すし、自治会の会合にも参加してるし、回覧板もさっさと回すし、あまり騒音は立てないし……それが、何で他人の喧嘩のせいで怒られなきゃいけないのよ、ねえ?」
「う、うむ……」
「二人にはわかんないかもしれないけど、アパート住まいって大変なのよ、いろいろと。問題起こすと住みにくくなるし。家賃安くて部屋は広くていい物件なのに、もし追い出されでもしたらどうしてくれる――」
「ピ、ピッコロよ。どこか他所に言って話し合わんか」
「そ、そうだな」
 これ以上ぐちぐちと言われるのは御免だとばかりに、二人はさっさと窓から飛び立ってしまった。その早さたるや、が顔を上げる間にいなくなってしまったほどだ。
「まったく。ちょっとは人間社会のお勉強でもすればいいんだわ」
 誰かのマントのようにひらひらと舞うカーテンを見ながら、はそう一人ごちた。

 その晩、悟飯から電話があった。どうやら今神殿にいるらしく、ピッコロに電話しろと言われてかけてきたようで、「大変でしたね」と労いの言葉までかけられてしまう。だが、どうやら元神はピッコロとまた同化したようで、その報告もあったらしい。何より本題は。
『どうしてもって言ってますよ? 引っ越さないなら攫って荒野に捨てるって――それはダメですよ、ピッコロさん』
「そうよ。私はか弱い一般市民なのよ。そんなとこで過ごせるわけないでしょ。だいたい大学も遠いし」
『えっと……舞空術で行けって言ってます』
「無理よ。私まだ飛べないもん。そもそもどうして私が引っ越さなきゃいけないのよ」
『あの部屋は不吉だからだそうです……』
「不吉ってピッコロさんにとっては、でしょ。まあ、敷金礼金、それとこれからの家賃ぜーんぶピッコロさんが払ってくれるんならいいけどね」
『ええと、敷金礼金……あっ!――おい! ふざけるな、馬鹿野郎! 誰がそんなもん払うか!』
「そう。じゃあこの話はなかったことで。それじゃ、おやすみなさーい」
『ちょっと待て貴様! おい、待てと言ってるのが――』
 そう言ってはさっさと電話を切った。きっと今頃、神殿では悟飯とデンデが必死になってピッコロを宥めているのだろう。ピッコロはといえばそれはもう暴れていて、悟飯は師を心配しつつも、それ以上にピッコロの手に握られた自分の携帯が壊されやしないかと心配して、デンデはどうしていいのかわからずおろおろしながら「いいじゃないですか、それくらい」などと口走ってしまい、きっとピッコロに怒鳴られている――そんなことを考えると、自然と口から笑いがこぼれた。
 何もない、平和な秋の夜長が更けていく。

|| THE END ||

* あとがき *
やはりピッコロさん、ネイルさんと来たらオチは神様でしょう。