文字サイズ: 12px 14px 16px [January〜ヒミツのナメック〜]-04-

「いやあ、本当にすまんかった」
 化粧が落ちない程度に顔を拭く私に、丸いテーブルのお向かいからそんな暢気な声が降ってくる。例の水浴びせおじさんこと、ムーリ最長老様よ。このナメック星で一番偉い人、地球で言うなら国王様よ。ものすっごい気さくだけど。
 ムーリさん曰く、食事を摂ってたらふいに気配がしたんで飛んできたとか。そう、コップを持ったまま。まったく知らない気――つまり私の気ね――を感じたので、緊張をほぐすためにも廊下を走りながら一口、そのまま部屋に飛び込んだというところで私の人生五本の指に入る恥ずかしいシーンを目撃してしまったらしい。
「尻を見せるというのは古代ナメック星では、相手に降伏するという意味があってな」
「へえ、僕も知りませんでした」
「まあ、異常気象よりもずっと昔の習慣だからな、知らなくとも無理はない」
 そりゃ自分の育てた子が他星人にお尻見せてたらお水噴いてもおかしくないわね。というか、地球でも十分おかしい。申し訳ないことをしました、すみません。
 だけどそんな話も終わり、ようやく本題へと入ろうとした時、妙な視線を感じたの。何かじっと見られているような。こう、悪意を感じるわけじゃないんだけど、じーっと見てる。そんな視線を。目の前の二人でないことは確か。デンデくん曰く最長老って人には必ず戦闘タイプっていう、要するにネイルさんと同じ役目の人がつくらしいけど、その人も今ここにはいない。ちょっと離れた村で恐竜がやってきたっていうので出向いてるらしい。大変ねえ、戦闘タイプも。ネイルさんも毎日そんなことしてたのかしら。
「ネイルは特に熱心でな。子供たちの面倒もよく見ておりましたぞ」
「そうですよ。だから僕もよく遊んでもらってたんです!」
 ええと。『戦闘』タイプよね。ぜんぜん戦闘してないじゃない。
「そりゃあ、天変地異以来フリーザが来るまでは、平和そのものでしたからのう」
「へえ、そうだったんですか」
 そんな話をしながらも、やっぱり私は視線のことが気になっていた。気のせいではないと思う。ほら、よくあるじゃない。道歩いててなんか視線感じるなーって振り返ったら、猫が塀の上からじっとこっち見てたとか。地球人ってある程度進化して、そういう感覚は退化しちゃってるとしても、なくなったわけじゃないと思うのよね。そう、これは私の野性の勘。何かがじっとこちらを見てる。間違いない。
「どうかしました?」
「ん、ちょっと……」
 歯切れの悪い言葉を出しながらもまた、ちらりと後ろを振り返る。うん、やっぱり誰もいない。けど視線を感じる。
 その時だった。ぱっとデンデくんの顔が輝いたのは。
「あっ。さん、隣の部屋が分かるんですか?」
 隣の部屋? こののぺーっとした部屋のどこに隣への入り口があるのよ。入り口はひとつだけ、しかもその先はさっきのワープゾーンから続く短い廊下だけじゃない。
 でもデンデくんには、私の心の声は聞こえなかったらしい。
「すごいじゃないですか。気が探れるようになってきたんですよ! ふふっ、帰ったらピッコロさんに報告しなきゃいけませんね!」
 いや、別に気が探れてるわけじゃな――。
「なに、ピッコロとな。あの戦闘タイプの子か」
 でも訂正するより前に私はムーリさんの一言に内心噴出した。だってねえ、『子』だって! あのピッコロさんが! まあデンデの話からすると、このムーリさんって人は裕に三百歳はいってるらしいから、ピッコロさんも子供にしか見えないんだろうけど。これは使えるわ。帰ったらさっそく使ってやろうかしら。いや、無事帰れたらの話。
「ええ、さんはピッコロさんに空を飛ぶ方法を習ってるんです」
「いや、正確に言うと悟飯くんからよ。ピッコロさんはあくまでおまけ」
「ほーう。あの地球の方ですな。ずいぶんたくましく成長されたとデンデから聞いておりますぞ」
「そうなんですよ。悟飯さん、すっごく大きくなったんですよ。すごく体もがっしりとして、背もおっきくなったし。ねっ、さん」
 うん! って調子よく答えたいとこなんだけど、悟飯くんの小さい時の姿は、私写真でしか知らないのよね。まあ、顔はあまり変わらないまま、大きくなったってのはわかるんだけど。ここは空気を読むべきか。
 そんなことを迷っていたその時、こそこそっと喋る声が聞こえた。そう、後ろの方から。例のずっと視線を感じていた後ろから。思わず振り返るとそこには、さっき私たちが入ってきたのと同じドアが半開きであった。さっきまでなかったのに。どうなってるのナメックハウス。
 でもそこから覗いていた小さな顔に私は一瞬きゅんとなってしまった。なんていうの、赤ちゃん特有のかわいさって言うの。ドアの隙間から、明らかにナメック星人の、でもすごく小さな顔が二つ並んでじーっとこっちを見てた。私が感じてた視線っていうのはこの子たちだったんだ。もちろん、デンデくんは気を察知して気付いてたみたいだけど。
「あの子らはまだ少し臆病でのう。さっきまでここで遊んでおったんだが、さんの気に気付いて慌てて隠れてしまったんです」
 はっはっはと笑いながらムーリさんはちょいちょいと手招きをした。すると二人は一瞬ちらりと顔を見合わせて。
「ほら、遠い星からはるばるお越し下さったお客様だぞ。お前たちも挨拶せんか」
 そう言われたとたんドアからおそるおそる、と言った感じで出てきた。そこでまたキャーッというわけよ。とにかくすごくちっちゃいの。たぶん人間で言うなら一歳ちょっとくらいの大きさ。歩き方も体が小さいせいかちょこちょこっとしてるの。普段成長したナメック星人、特に一人は無駄すぎるほど成長しまくってるの見てるから、何と言うかすごく新鮮。くーっ! 携帯持ってくるべきだった! 写真撮りまくっちゃうのに!
「こ、こんにちは。カラルです!」
「コラルですっ!」
 そうやってぺこっと頭を下げる仕草もかわいい。もうね、今までピッコロさんのせいで低迷してたナメック株がいきなり急上昇した感じ。今なら億万長者も夢じゃないってくらい。
「こんにちは。地球から来たです。よろしくね」
 こっちの自己紹介まで思わず優しく、優しく、やさしーくなっちゃうほどのかわいさ。これは貴重だわ。宇宙遺産に認定されるべきだわ。よーし、頭なでなでしちゃってるデンデくんに倣って私も――と思って差し出した手は、以外と強い力でがしっと止められた。えーっと、どっちだ。コラル?くん?
 ほーっと感心するような声まで出して、私の手と自分の手を延々見比べること十数秒。はっはっはと後ろから豪快な笑い声で代わりにムーリさんが答えてくれる。
「宇宙には色んな肌の人々がいるとは教えておったんですが、実物を見るのは初めてですからな。きっと驚いたんでしょう」
「そうですよー。僕も初めて悟飯さんたちを見た時は驚きましたから!」
 横から調子よくデンデくんが合いの手を打つのを見て、私も思い出した。初めてピッコロさんたちを見た時の驚きとか、何これ感とか。そりゃ地球にも肌がピンクとか青とか、人間型とは違う地球人もいるけど、緑を見たのは初めてだったからそりゃ驚いたもんよ。しかも空飛ぶし。あれ? そういえばこの子たちもやっぱり空は飛べるの?
「まあ、まだ飛べるというほどではありませんが。そのうちできるようになるでしょう」
 そこでまたナメックの秘密よ。何でもナメック星人は生まれてから半年くらいでやっとそれなりに飛べるようになるとか。この子たちはまだ生まれてすぐなので、ちょっと浮いて移動するくらいはできるけど、飛んだりはできないんだって。そう。でもその時点で浮くことすらできない私よりはレベル上よね。羨ましいわ。その力を分けてもらいたいくらいだわ。
 でもそんな私に急展開が訪れるなんてことは、この時点ではまったく予想していなかった。
「ほら、わしはデンデたちと話があるから。お前たちはそこら辺で遊んできなさい」
 ムーリさんがようやく場を戻そうとしたその時だった。カラルくんがしゃきっと顔を上げたのは。
「さいちょうろうさま! おそといきたい!」
「外か。うむ、晴れとるしいいだろう」
 ちらと向けられた視線の先には、丸い窓からやっぱりちょっと地球とは違う空の色が見えた。緑がかった空に、カスタードクリームみたいな色の雲が流れてるの。そういえば外見てなかったけど、不思議な光景ね。――そう納得して顔を戻そうとした時、再び手がぎゅっと握られた。私だけじゃなくて、デンデくんも。どうやら一緒に遊びに行く気満々。だけど、残念だけど私たちにはもっと大事な用事が。
「ごめんね。僕はムーリさんとお話があるから行けないんだ」
 そういうデンデくんに続いて、私も口を開こうとした。同じようにごめんねって。ところが。ここで無駄に機転のきいてしまうデンデくんが。
さんは大丈夫ですよ! ほら、ピッコロさんのことは僕も説明できますし」
 えええええ! そもそも、龍族だって話聞かされたのは私の方じゃない! しかも地球人の子供でも大変なのに、生態もよくわかってないナメック星人の子供預かるなんて不可能。ほらきっと、ムーリさんもそこんとこは不安に思ってるはず。
「おお、なんと! 地球の方がお相手を!」
 いやいやいやいや! そこはそんなに感心するとこじゃないから! やはりここは同族のデンデがと私に助け舟出すとこだから! ちょっと二人そろって実はテレパシーしてたりしてグルになってんじゃないのかしら。私に隠れて、こっそり別の話しようとしてるんじゃないのかしら。
 でもそんな疑いを持ったところでもう事態は変わらなかった。ぎゅうっと引く手の力も強く、ちょっと腰を浮かしたらそのまま立つことになってしまい、しかも空いたもう一つの手まで握られてしまい。何よこれ。超おでかけモードじゃない。本当に、本当に大丈夫なのね! 何かあっても知らないからね!――ってあれ? 外に行くにはどうしたらいいの。もしかしてそこの廊下から? それとも、この子たちが出てきたドアから?
 思わずきょろきょろとすると、すぐさまデンデくんが気付いてくれたみたい。
「あっ、さん。そこの丸い床に乗るんですよ」
 その言葉に従って床を見ると、確かにあった。他の石畳みたいに不揃いな床とは違って、きれいにはめられた完全に丸い床が。大きさはちょうど人が二、三人乗れるくらいかな。でもこれが何?
「いってらっしゃい!」
「よろしくお願いします」
 だけど、そんな声をかけられても何も、と思った次の瞬間。床が動いた! 思わず足がすくんで飛びのくこともできないまま、ずずっ、と少しゆっくりながらも下がっていく。ねえ、ちょっと。これは大丈夫なの! 落ちたりしないの!
 思わず内心パニックになった私に対して、周りの反応がまた平然としてるのが泣ける。ムーリさんとデンデくんはにこにこしながら手を振ってるし、両脇の子供たちもぶんぶん手振ってるし。何それ。驚いてるのは地球人の私だけですか。もしかしてナメック星では当たり前のことですか。そんなこと考えたらだんだん気持ちが落ち着いてきた。きっと危険ではない。うん。
 そうしてるうちにも床はどんどん下がり、デンデくんたちの足すら見えなくなって、風景は代わりに少し薄暗い部屋に。思わず下を見るとまだ距離があって怖いけど、足元の丸い床は私の気持ちなんてお構いなしにすーっと、さっきよりちょっとだけスピードを出して下がり続け、やがてぴたっと止まった。こっちの床に到着したの。
 上を見上げると、さっきまでいた明るい部屋が丸い穴から見える。つまりここはすぐ下の階なのね。でもこんなエレベーターみたいなのはびっくり。ナメック星人の家にはみんなこんなのがついてるのかな。慣れたら便利そうだけど、床の周りに手すりも何もないのがちょっと怖いわね。お年寄りにはオススメできない感じ。
「こっちだよー」
 辺りを見渡すのもそこそこ、カラルくんに手を引かれて今度は壁際へ。ん? ちょっと待って。ここも何だか床が違う。ちょうど玄関マットを敷くみたいに、床が四角い線で区切られてるの。つまりはこれが玄関? ドアもまたどこからか現れるのかしら。そう首を捻った私の耳にとんでもない単語が飛び込んできた。
「ぴっころ!」
 何その不吉な言葉、と思ったのも束の間、壁にすーっと線が引かれて、ドアの形を作っていく。それが数秒。ちょうど床の四角の端と端を壁で繋ぐようにドアが現れ、ノブを探そうとしたその時、今度はドア型の壁が勝手に動いた。下から上へ、ぐーっと壁が外に引っ張られていくにつれてだんだん外の景色が見えてくる。爽やかなそよ風、ぽかぽかの太陽の匂い。それがぶわっと入ってきて思わず息を呑んだ頃にはもう、ドアは完全に開いていた。何ていうか、不思議すぎて言葉にならない。もうかれこれ二十年生きてるけど、こんなドアから出入りしたことなんてないわよ。
 だけど感慨にふける間もなく、私は手を引かれて外へ。見渡す限り一面、荒野みたいな風景が広がってる。そこにぽつぽつと、この家が建ってるのと似たような丘みたいなのがあって、そこだけ地面が緑、すっと背の高い木が数本生えている。いきなり放り出されたら私はちょっと生きてけない。うん、悟飯くんなら大丈夫そうだけど――。
「そうだ!」
 そこではっとさっきのことを思い出した。「ピッコロ」よ、「ピッコロ」。なんでこの子たちいきなり「ピッコロ」とか言い出すの。ちょっと心臓に悪いじゃない。まさか私たちの後をこっそりつけて、どこかにピッコロさんが……ってのは考えすぎか。いたらきっとこの場で怒鳴られてる。何してるんだって。
 そしてやっぱり私の予想通り、ここにピッコロさんはいなかった。
「ぴっころはね、じゅもんなの!」
「じゅもん!」
 何でも「ピッコロ」っていうのは「異世界」って意味で、ドアを開く時には必須の言葉らしい。なるほどね、確かに家と外は異世界とも言えなくはないもの。しかもそれだけじゃなくて、
「あのね、ぴっころはなめっくごなの!」
「ナメック語?」
「うん。いっぱいおしえてもらうの!」
 両方からそう言われて納得した。デンデくんが共通語喋れるって言ってたけどこういうことなのね。私たちが学校で地域の言葉を習うみたいに、ここでもやっぱりナメック語を教えてもらうんだ。でも「ピッコロ」ってナメック語だったのね。なーんだ、ピッコロさんってしっかりナメック星人しちゃってるんだ。「異世界」ってとこがポイントだけどね。確かにピッコロさん、私からしたら異世界っていうか異次元の生物だわ。はっきり言って。この子たちもかなりその感は否めないけど。きっと遊び方もとんでもないものに違いない。果たしてついていけるのか今から不安だわ。いや、とにかく確認を。
「ところで、何して遊ぶの?」
 空飛ぶ練習、とかなら遠慮する気満々だったんだけど、聞いてみたら意外や意外、魚と遊ぶなんて言い出す。魚のいそうな場所はどこにも見当たらないけど。
「うんとね、あそこのいけなの」
「おさかないっぱいいるの」
 指差された方を見ても丘しか見えない。もしかしてその丘の向こう? よくわかんないけど、そんな距離でもなさそう。よし、とりあえず行ってみるか。
 そう決めて、私は二人のふわふわ柔らかい手を引きながら丘を下り、いざ目的地へ。そういやまた水のある場所へ行くのよね。何だか妙に不安。ううん、気のせいよね、気のせい。

※カラル、コラル→カラコル(caracol/スペイン語で「かたつむり」) NEXT