文字サイズ: 12px 14px 16px [真夜中の青空]-05-

「あれえ、元気になっただかあ」
 ダイニングに入ってすぐ声をかけてきたのは、悟飯の母さん――つまりチチだった。まあ、俺が覚えてるよりけっこうおばさんだが、年を聞くのはやめておこう。
「ちょうどメシもできてるだ。たっぷり食って、元気つけてけろ」
「はあ、どうも」
 きっと倒れたのは空腹もあったんだ。そうでなくても偏りまくりの食生活、いくらグレイトなコーンフレークを朝食にしてても俺の栄養バランスを整えることはできない。それで一日メシ抜きで意味不明な状況による極度のストレスと歩き続けた疲労。考えてみれば倒れない方がおかしい。だから、腹を満たすのは最善策だ。
 ……だが、そんな山ほどは食べられない。俺の限界値を超えている。
 あれだこれだと喋っているチチの手には、ばかでかいどんぶりと、そこにどんどん盛られていく炊き立てご飯の山。昔、仏壇用の飯を盛るばあちゃんを尊敬のまなざしで見ていたが、こっちの方が遥かにすごい。
「あ、あの……」
「どした?」
 よく母さんに言われてた。出されたものは残さず食べろって。人の好意を無碍にするなって。でも、ここは断っていい場面だよな。
「あの、ご飯はその十分の一くらいで……」
「ええっ? そんなに少なくていいだか?」
 チチは驚きのあまり目を丸くしたが、正直それでも多いくらいだ。
「はあ、おめえ少食なんだべ。ほっせえ体だもんなあ」
 確かに俺はそんながっしりとはしていない。この隣で飯が出るのをドキドキわくわく待ってる大学生よりは、な。胸板だって薄いし、腕や脚にだって必要程度の筋肉しかない。それでも仲間内ではよく食う方なんだけどな。どうにもこの家の「よく食う」とはレベルが違う。はす向かいに座ってる少年――これがあのチビ悟天らしい――も、ばかでかいどんぶりに盛られた飯を当たり前のように受け取っている。
 悟飯の話によると、悟天は今十一歳らしい。悟飯と違って小学校に行っていて、まあそれなりの悪ガキだとか。俺が知ってる頃(と言ったら語弊があるが)から悪ガキだったと思うけどな。ちっさい方のトランクスと調子に乗って、ピッコロに怒鳴られてなかったか。まあ、その後しばらくジャンプを読んでない間に連載が終わっちまったから、どうなっているのかは知らないが。
 簡単に紹介された後、チチの「いただきます」の声で始まった食事はまさに戦争だった。箸のぶつかる音こそしなかったが、悟飯と悟天の勢いはすさまじく、さらに間を見計らってチチがさっと自分の取り分を確保していく。あれは慣れてるやつだけができる技だ。この十数年って間に身についたもんなんだろう。俺には到底まねできない。
 そんな俺はといえば、案の定ほとんど手が伸ばせず、自分の前にあった餃子をいくつかつまむだけで精一杯だった。唐揚げも小龍包も青椒牛肉絲も、誘われながらも一回も口にすることなく。食事でこんなに疲れたのは初めてだ。そして、これから先経験することはないだろう、たぶん。
 だが、味は最高だった。人の手作りなんて、最近行きつけの定食屋のおばちゃんのだけだ。それだけで価値がある上に、町の隠れた名店レベルの味と来れば、餃子だけでもまあ満足……ということにしておこう。とにかくそれでもある程度腹はふくれた。人様んちにいきなり上がりこんだ挙句、腹いっぱい食わせろなんてさすがの俺でも言えないしな。そこんとこくらいは、常識を備えてるつもりだ。
「ごちそーさまあ!」
 そんな嵐のような食事で、真っ先に食い終わったのは悟天だった。どうもゲームがやりたいらしい。
「悟天! 遊んでばっかいねえでちゃんと宿題するだぞ!」
 そんなチチの声にも生返事で、悟天はいそいそとゲームの電源を入れる。こういうのはどこでも一緒だな。だが、ここでチチはあっさり引いた。やっぱりあれだ。親ってやつは次男坊にはえてして甘い。俺の友達にも何人かいて、そいつら揃って甘やかされて育ってたぜ。俺が甘やかされてないっていったら嘘になるけどな。最低、宿題ができるまでゲームはさせてもらえなかった。おかげで、仲間内でマリオクリアが一番遅かった。今思い出しても悔しい。うまさだったら俺はかなりのレベルだったはずなのに。
 まあしかし、悟天のレベルはやばい。どうやばいかって思いっきりマイナス方向に。
 確か悟天はも武道をやってるんだよな? 今やってるかは知らないが、少なくとも漫画で読んだ悟天は地球破壊爆弾並に強いガキだったはず。だったら、戦いのセンスってやつも十分備わってるはずだ。それがお前――格ゲーでぼこぼこにされてどうするよ。足元狙えばいいところをパンチしたり、飛ぶタイミングがずれて、思いっきり飛び技にぶち当たったり。見てる方が辛くなるほどの下手くそっぷりだぜ。
 食後、チチが出してくれたデザートのりんごをがりがり齧りながら、俺と悟飯はその様子を見ていた。倒されても倒されても立ち向かう姿はなかなかの根性を感じるが、いかんせん基本がなっていない。ああいうのはだいたい決まった動きってのがあるんだ、特にCPU相手ならな。そこんとこをいまいち掴みきれてないというか、相手の動きに翻弄されてるというか。
はああいうのってやるの」
 突然横から飛んできた質問に俺は顔を戻した。
「お前はどうなんだ」
「僕はねえ、何回かやったけどぜんぜんダメだったよ」
 パズル系なら得意なんだけどね、と言って悟飯は笑った。確かに、こいつはパズル系に強そうだ。いや、もしこの世界にミステリ物があるのなら、そっち方面にも才能を発揮するに違いない。
「俺はなあ、まあ、格ゲーならちょっと自信あるぜ」
 何たって高校時代、学校と家にいなけりゃゲーセンってくらい通いつめてた身だ。ワンコインでどこまで対戦できるかよく競い合っていた。見も知らぬゲームオタクみたいなやつを負かした時の快感といったら。
 だが、へえと感心する悟飯とは別にじっとりとまとわりつくような視線を感じる。こういうのは得てして嫌な予感ってやつに分類されるんだ。
「……そんなに得意なの?」
 十数回目か、K.O.されたばかりの悟天の声に、それこそリビング全体がシーンと静まり返った。そんな恨みがましいような目で見なくても。
「じゃあ、やってみてよ」
「こら、悟天……」
 悟飯とチチのたしなめる声も聞かず、悟天はぶっと頬を膨らませた。
「このゲームすっごい難しいんだよ。トランクスくんだってこないだクリアしたばかりなんだから」
 つまりお前は、その「トランクスくん」に挑むために必死こいてやってるわけか。そういや何か張り合ってるとか書いてあったよなあ、漫画に。
 だが売られた喧嘩は買わないわけにはいかない。俺だって、自分で言ったことだ。ちょっとぐらいやってやる。
「いいぜ。取説見せてくれよ」
 食い終わったばかりのりんごを置いて、俺はソファに向かった。手渡された説明書は、表紙に「ウルトラファイターズ」と書いてあった。いかにもマッチョなキャラたちが一塊になってるが、目立っておかしいところはない。中もそうだ。特別変わっているようには見えない。変わりないといえばコントローラーもそうだ。PS2に似て非なるって感じかな。これならまだやりやすい……かも。
 説明書をぱっと開くと、まあいかにも格闘家です、といったキャラから、こいつ人間なの?と疑いたくなるような容姿のやつまで様々、この辺にも違いは見られない。だが、初めてやるのなら何はともあれ主人公だ。一番操りやすく、技の出方も安定している。その代わり大技も平凡、これだね。逆に主人公のライバル扱いのキャラは、一つ一つがやり込み仕様になっている。とんでもない効果を出す技だったり(もちろん、めちゃくちゃヒットしにくく出来てる)相手の意表をつく攻撃だったり。ただ、素人にはお勧めできない。そういや俺、KOFではいつも庵を使ってたな。あいつは台詞も特殊だった。「泣け! 叫べ! そして死ね!」だっけな。学校での休み時間にまねして遊んだっけ。今から考えると、それってずっぽりオタクなんじゃないか? 下手したらそのまま秋葉原路線に行ってたかもな。危ない、危ない。
 ともあれ、俺は説明書とコントローラーをにらめっこでついに実践と相成った。コントローラーを握れば、あとはどれだけ指が思い出せるか、それだけだ。この、周りの視線が全部俺に集中する瞬間。あの頃を思い出して熱くなるぜ。……っておい、悟天。なんで最初からハードモードに切り替えてるんだ。お前、俺を陥れる気か。生意気さは否めないものの、かわいいガキだったのに。俺は悲しいよ。
 ゴングが鳴り、ついに試合が始まった。まずは相手と距離を取りつつ出方を見る。あちらも小手調べとばかりに当たらないパンチを数発。その直後、ずっと距離を縮めてきた。今がチャンスだ!
 相手がパンチを出したと同時にしゃがんでキックをお見舞いする。もちろん、こっちはダメージなし、そこからさらにキックを数発、相手が下がったところでパンチ。だが相手も馬鹿じゃない。すぐさまパンチで応戦しようとしたところでこっちはまたローキック。こうやってダメージを与えつつ、技ゲージなるものを見ていると、最初の一発目がもう満タンになっていた。ここでお試し一回目のゆるい必殺技だ。パンチとキックのコンボでとりあえず一度ダウンを奪う。
 あとは同じ動作の繰り返しをしつつゲージをためる作業だ。どうせなら最後は一発大技で決めたい。ゆるい技を出したり出さなかったりと調整しているうちに、もういつでも大技カモン、相手の体力も残り少なくなってきた。だがここで慎重にならなければいけない。大技を放ったあと、パンチ一発分だけ体力が残ってるなんてことになると情けないことこの上ない。例えれば、カッコつけたのに社会の窓全開って感じか?
「ねえ、もう必殺技出せるよ」
 横から悟天がうるさく言ってくる。こういう外野に乗せられるとアウトだ。焦って完璧な勝利を逃してはいけない。
「ねえってば」
「わかってるから、もうちょっと待て」
 多少イラつきながら返事をすると、ちょうどチャンスが来た。こいつの最終兵器は蹴り技だ。ある程度相手と距離が縮まらないと成功しないが、この距離なら抜群。頃合を見計らってさっき頭に叩き込んだボタンを押す。コマンドは成功、主人公は華麗に宙を舞って相手に止めをさす――はずだった。
「なんだこれ!?」
 思わず叫んだのは、俺の出した技が消されたからだ。もちろん相手にダメージはないどころか、技を出したはずのこっちがダウンした。その間にも敵は距離を詰めて俺が起き上がる時を狙っている。しかも相手の技ゲージは満タンだ。これは結構マズんじゃないのか。
「ああ、それリターンだよ」
「リターン?」
「うん。ファイト中一回だけ使えるんだ。相手の技をそのまま返せるんだよ」
 なんだそりゃ。そんなの聞いてない。必死にボタンを押して反撃しているうちに形勢は何とかマシになったが、まだ敵は倒れてない。
「相手がさあ、必殺技出した時に端っこに○ボタンが出るんだよ。それをタイミングよく押せたらリターン成功」
 ○ボタンだな、よし。相手がやってきたらやり返してやろうじゃないか。
 方法を聞けば意気込んできて、俺は虎視眈々と相手の出方を伺った。もちろんその間も攻撃は絶やさない。近づいてきたらパンチとキックで応戦。……しているうちに、相手がスローで吹っ飛んだ。まさか。
「わー、勝った! すごい!」
 悟天がはしゃいで手を叩く。が、俺は消化不良だ。超消化不良だ! くそっ、このハゲ野郎め。必殺技を出す前に倒れやがって。根性なし! 俺にもやり返させろ!
「わあ、本当に得意なんだねえ」
さすごいだなあ」
 いつの間に背後に来たのか、悟飯とチチにまで褒められて俺は少し落ち込んだ。違う、俺の実力はこんなもんじゃない。今の戦いは駄目だ。テスト全正解なのに名前書いてなかった気分だ。最後は必殺技で決める。特撮だろうが、ゲームだろうがそれが一番かっこいい勝ち方だろう。こんなことで認められても嬉しくない。すごいやつを見せてこその賞賛で、俺のプライドは満足するんだ。
 だが、俺の心なぞわかるはずもない。悟天はひとしきりはしゃいだ後、ぱたぱたっと電話へと駆けていく。何だ。そこに何かあるのか?
「ありゃトランクスに電話するつもりだべ」
 チチが言うか言わないかの間に悟天はトランクスの名前を出した。
「聞いてよ、トランクスくん。あのさ、今兄ちゃんの友達が来てるんだけど、ウルファイハードでベンジャミン倒しちゃったんだよ!」
 ベンジャミン。あのハゲそんな名前だったのか。足元に置かれたままだった説明書を見ると、なるほどあのハゲのところにそう書いてある。ブラックイーグルスのボスか。そのままステータスは、と見て。そう、他のキャラのステータスも見比べてみて、俺は悟天の恐ろしさを思い知った。このベンジャミンとかいうやつ、ボスもボス、ストーリーモードのラスボスじゃないか! そんなやつを、しかもハードモードで、このゲーム機すら初めて触る俺にぶつけてきたのか。なんて恐ろしいやつ。俺にはこんな真似できない。
「ねえ、さんってば」
 説明書を見たままぼーっとしていた俺は、その声に慌てて顔を上げた。どうやら悟天は何度か俺を呼んだらしい。明らかに不服そうな顔だ。
さん、明日ヒマ?」
 ヒマ……ヒマって言えばヒマだが、確か悟飯が神殿に行くとか言ってなかったか。
「神殿以外にはないの?」
「うーん、ない、よな?」
「まあ、今のとこは一応」
 後ろに立ったままの悟飯に確認すると、そんな曖昧な返事が戻ってきた。不安だ。言いだしっぺがこの返事はたまらなく不安だ。だが、悟天には満足いくものだったらしい。
「オッケー。あのねー、さん明日あいてるってー」
 おい。何の取引をしてるんだ。そこをまず教えろよ。俺、当事者っぽいのに。
「うん、うん。じゃあバイバーイ」
 しかし悟天は電話を切るまで一切教えてくれなかった。もちろん、何となく予想はついていたが……。
「明日トランクスくん来るからさ、ウルファイ対戦しよっ」
 予想通り、俺はちゃっかりガキどもの遊びメンバーに入れられていた。おいおい、いいのかよ。しかし二十九にして十代前半のガキどもとゲーム。だいたい、この家に戻ってくるかどうかはわかんないんだぞ。そのまま俺はいなくなるかもしれないのに。
「だってさあ、どうせさんヒマなんでしょ。それにさん帰ってこなかったら、僕たちが神殿に行けばいいから! 帰るんだったらそれからでいいでしょ」
 それはつまり神殿でゲームするってことか。ますますヤバくないか。そもそもあんな場所にテレビあるのかよ。いや、もしテレビはあるとして電源が入ってないと思うんだが、そこは考えてないのか。それとも俺が知らないだけで、あのいかにも何もなさそうな神殿にも電気が通ってたりするのか。
 いやその前に。いかにも口うるさそうなピッコロが怒ったりしないのか。もしかしてお前ら、もう諦められてるとかそういうことはないよな? 俺までその一味だと思われたら、帰る方法があっても実行してもらえなさそうなんだが、そういう心配はしなくていいんだよな?

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