文字サイズ: 12px 14px 16px [03:学舎(まなびや)]

 四方を山に囲まれたこの文教地区は、午後十時を過ぎるととたんに人の気配が消えてしまう。皆眠りにつき、月がいくら地上を照らそうと、動くものは夜行の獣以外には見当たらない。ましてや今は冬。どんどん気温が下がるこの時間に表をうろつく変わり者など少ない。
 そうとなれば、この二人は『変わり者』に分類されるというわけだ。
「で、ここなのよ」
「こんなとこ、あったんですね」
 車のエンジンを止めると、目の前はとたんに真っ暗闇。町の明かりもほとんど届かず、目の前には大きな山の壁が迫りつつある。
 そんな、町の外れにあるこのグラウンドは開発の名残とでも言おうか。昔は古い中学校が建っていたが、町の過疎化が進み、生徒の数も減って、十数年前に廃校となってそのままだった。それを数年前にとある会社が開発のために買い取ったものの、世間の不況による業績不振の波が押し寄せ、建設半ばで放置。一昨年、それをさらに大学が新しい校舎建設用地に決め、立派な校舎とグラウンドが作られたが、にしろ悟飯にしろ、ここで講義を受けた覚えはない。使っているのは院生がほとんどだ、という話だ。
 しかし、元から人の少ない町の、これまた人気のない場所である。危ないから近寄るな、というのはこの近隣の親の声だが、大学生にまでなるとそんな噂も何のその。一番はしゃいでいる時期だからか、時に子供以上の好奇心で危ないことにも平気で首を突っ込む。
 この二人はそういった目的ではないものの、考えていることは似たり寄ったりといったところだ。訪れたの手にぶら下げられた袋の中には、本人曰く特別ルートで仕入れたという花火の束が入っていた。それを中に放り込み、悟飯の手伝いを借りて門を乗り越える。
「ピッコロさん、やっぱり来ないのかな」
 空を見ても星が瞬くばかり。あの真っ白なマントはどこにも見えない。
「花火だと? 馬鹿馬鹿しい」
 話を持ちかけた時にそう返されて、さらにいい歳して花火など、と嫌味もしっかりもらい、神殿を後にして早三日。
「大丈夫ですよ。きっとピッコロさん来ますよ」
「だけどもう約束の時間だよ」
「何か用事があるとか……」
「ないない。いっつも暇そうにしてるじゃない」
 神殿に行けばたいてい瞑想をしているか、図書室に閉じこもっているか。一度花に水やりをしているところを見たことがあるが、デンデに頼まれて仕方なく、と本人は真っ向否定していた。しかし、あのでかい図体が小さなじょうろを片手に花の世話をしている姿は、にとっては笑いを誘うものであったらしい。何度かそのネタでピッコロをからかい、あわや絶命という体験を繰り返している。どちらもどちらで、学習能力のない輩ばかりだ。
「神殿で出来たらよかったのに」
「仕方ないですよ。ピッコロさんがダメだって言うんですから」
「でもあんなに怒らなくてもいいんじゃない? あんだけ広いんだし、一年中あったかいし、デンデくんも見てみたいって言ってたのに」
「ピッコロさん、そういう甘えは一切許さない人ですからねえ」
「まったく、頭が固いんだから」
 手袋を脱いだ手でろうそくに火を点し、懐中電灯を頼りに花火を広げていく。大きな袋が一つと打ち上げ花火が数本。そしてさらに。
「この細長いのは何です?」
「ああ、それはロケット花火」
 のちのちのお楽しみってことで、と言葉を濁したに、悟飯の目が少々疑惑に染まる。だが、彼女の考えていることはあまりにも突飛で悟飯には理解できない。きっと何か策があるのだろう、と白い息と共に疑問を飲み込んだ。

 ぱちぱちと音を立てて燃える花火を一つ、また一つと持参したバケツに突っ込んでいれば、あれほど大量にあったものもどんどん少なくなっていく。
「僕、花火ってあんまりしたことないんです」
 飛び散る青い火を見ながら、悟飯がそう呟いた。聞けば、あまりそういうことをしたがる者もいなかったという。確かに、このような花火はの生まれた地域を含めたほんの少しで、悟飯の家の辺りでは、風習として爆竹を鳴らすことはあれ、こうして暗闇の中小さな火を楽しむことはないらしい。
「でも、こういうのも楽しいでしょ」
「そうですね」
 くるくると手を回せば、それにつられて光の弧を描く花火。ほんの十数秒燃えては消える。そしてまた新しい花火に火をつける。
「だけど、花火って夏にするもんじゃないんですか?」
「まあ、一応はね。だけど、冬の方が綺麗に見えるんだなあ」
 冬独特の澄み切った空気の中、燃える花火は夏に見るそれより美しい。それは誰もが知っていることだが、さすがに寒さの中、屋外で花火をしようという者は少ない、というだけのこと。
「あっ、ラストだ」
 袋の中を探っていたが最後の一本を取り出す。
「悟飯くん、する?」
「いや、さんやっちゃっていいですよ」
 それより、と束になったロケット花火を取り出して。
「これはどうやって遊ぶんですか?」
「それはねえ」
 最後の一本を消し終えたが、悟飯の手から花火を奪い、手探りで導火線を探り当てると、ろうそくに近づける。とたんに、小さな火花がしゅうしゅうと音を立てて導火線を昇っていく。火薬に火が移るのも時間の問題だ。と、その時。
「それ――――っ!」
 掛け声と一緒にが花火を空へと向かって放り投げた。投げられた花火は、放物線の頂点に達しようかとした時に火薬に着火、勢いを増して暗い空へと飛んでいき、やがて「パァン」と音を一つ響かせて消えた。
「な、なんです。今の」
「これ本当は地面に挿して遊ぶんだけどね。でも、こうやった方がよく飛ぶでしょ」
「上へ放り投げるんですか?」
「うん。でもタイミングが難しくってね。遅すぎると危ないし、かと言って早く投げたら落ちる途中で飛んでっちゃうし」
 だからこうやって、ともう一度実演してみせる。何でも高校の頃、友人同士とこうして遊んでいたらしい。次々と花火を放り投げるの姿を見ているうちにようやく悟飯も要領を得たようで、見よう見真似で導火線に火を点す。
「これで――えいっ!」
 悟飯が大きく腕を振れば、花火はあっという間に空へと吸い込まれていく。
「ちょっと。見えなくなっちゃったじゃない」
「力入れすぎちゃいましたね」
 じゃあ、もうちょっと、と悟飯が再び花火を手に取り、火を点したその瞬間、ふと後ろに人の気配を感じて振り向く。
「あ……」
「あ、あれ?」
 振り向いた二人の目が点へと変わる。どう見てもそこにいるはずのない者――ピッコロがこの寒空の下、いつものように腕を組み仁王立ちしていたのだ。
「貴様ら、ずいぶんな遊びをしているようだな」
 絞り出された声は、いつにも増してドスのきいたものだった。明らかに怒っている時の声だ。だが、二人にはとてもそんな心当たりはない。誘いをかけたのは自分たちだが、その時に断られて以来、一度も接触してはいないのだ。
 しかし、そこでふとは異変に気付いた。いや、異変というよりは違和感、といったものだろうか。
「ピッコロさん、マントどうしたの?」
 指差した先にあるピッコロのマントは、左側の裾が少し欠けている。いつもひらひらと揺れているはずの部分がすっぽりなくなっているのだ。
 もちろん、はその違和感を指摘しただけだった。だが、ピッコロにとってはよほど腹の立つことだったらしい。
「誰のせいでこんな目にあったと思ってるんだ!」
 逃げる間もなくコートの襟をつかまれ、目の前に突き出されたマントをよくよく見てみれば欠けた端が焦げている。
「なにこれ」
「ほう……。白をきるつもりか」
「だからわかんないだってば。どうして私が怒られなきゃいけないのよ」
 誤解だと言わんばかりに首を振ったの横から、悟飯がマントを覗き込み「あっ」と小さな声を上げた。
「あの、これもしかして……花火が当たったんじゃないですか?」
 そう聞くと、とたんにピッコロの目の色が変わった。しかし、同時に悟飯が浮かべた表情に、まるで不可解だといわんばかりに目を細められる。
「だから、こいつが……」
「いえ、さんの腕力でそこまで高く放り投げられるとは思えません」
「ならば、他の誰かが投げたというのか?」
「ええと……たぶん、僕です」
 ごめんなさい、と小さく呟いたとたん、がどっとため息をついた。ほら、また私のせいにするんだから、と言わんばかりにピッコロを睨みつけるが、当のピッコロはそんなことにも気付かず、ただ悟飯の顔を凝視するのみ。
「さっき投げた時、力入れすぎちゃって。だからきっと、上空を飛んでたピッコロさんに当たっちゃったんだと……」
「――まったく。危ない遊びをするんじゃない」
「えっ?」
 ため息混じりのピッコロの言葉に対し、素っ頓狂な声をあげたのはだった。
「ちょっとなに? 私は無実なのに胸倉つかまれて、悟飯くんには注意で終わっちゃうわけ?」
「フン。おおかたお前がこういうことを教え込んだんだろう」
「うっ……」
 真実なので反論も出来ず、うめき声をあげたは、そろそろと視線を悟飯へと向けるが、悟飯は悟飯で、どうフォローしようかと必死に考えているようだった。仕方がなしに視線を戻すが、戻したら戻したで、見下ろしてくるピッコロと目が合ってしまう。何とか突破口を見つけなければ、と頭を切り替え、ふとわいた疑問をぶつけることにした。
「ところで、何でピッコロさんここにいるの?」と。
 その後の想像は容易い。は再びピッコロに怒鳴りつけられ、悟飯がその間に割り込み。
 だが、ぎゃあぎゃあと騒いでいた三人の目の端に何かが映った。初めに反応したのはピッコロで、続いて悟飯、がピッコロの視線を辿り、はっと目を見開いた。
「おい、君たち。何をしてるんだ」
 向けられた懐中電灯の眩しさに目を細めながらも、よく見るとその後ろに人影があるのがわかる。
「遊んでないでさっさと帰りなさい。あと、こんなところで花火なんてしちゃいかん」
「すっ、すみません」
 真っ先に悟飯が頭を下げて、もワンテンポ遅れてそれに倣う。二人がかりで元からまとめていた花火のカスを袋の中に放り込み、バケツに蓋をして車に積み込んだところで、ふとピッコロが声を漏らした。
「どうかした?」
「いや……何でもない」
 しつこく聞いても答えてくれないことはわかっているので、も深くは追求しない。そう、と適当に返事をして車へと乗り込もうとしたところでちらりとそびえ立つ校舎を見やり――そして固まった。
「ちょ、ちょっと。悟飯くん、ピッコロさん……」
 の指差した先には、校舎の中をゆらゆらと揺れる懐中電灯の明かり。
「さっきの男じゃないのか」
「すごいですね。あの人も瞬間移動できるんでしょうか」
 ぼけた回答をした二人に対してはぶんぶんと首を振る。そんなはずはないのだ。つい先ほどまで目の前にいた者が一瞬で七階まで移動できるものか。
 そもそも、大学の校舎は全て最新鋭のセキュリティシステムで管理されている。侵入者があれば、センサーが反応してすぐさま扉にロックがかかり、警備員が駆けつける手はずになっている建物に、警備員の見回りなど必要はない。しかも院生が主に使っている校舎となれば、研究の関係で基本的に外部の者は、例え警備員であれどうろちょろできないはずだ。
 そんなことが頭の中を一瞬で駆け巡り、やがて一つの結論にたどり着く。つまり、ここを警備員が見回ってるはずがない。
「は、早く乗って! 帰るわよ!」
 助手席に悟飯を押し込み、さらに勢いでピッコロを後部座席に突っ込むと、慌ててエンジンをかけハンドルを握る。
「ど、どうしたんですか、いきなり」
「だって、あの人変なんだもん!」
「変?」
「お前も気付いたか」
 後ろで体勢を立て直したピッコロの一言に、の顔からさっと血の気が引いていく。
「もしかして」
「ああ。あの男、まったくと言っていいほど気が感じられなかった。おそらく、なかなかの腕を持った者だろう」
 しかし、ピッコロの口から飛び出したのはそんな言葉だった。もちろん、それに対する返事は嘆息一つ。不思議がる二人を乗せたまま、は真っ直ぐ家へと向かって車を走らせたのだった。

 翌日、は親しくしている人間を通して、こんな噂を耳にする。
「ああ、あそこね。何でも、あそこが中学校だった時に、警備員さんが一人亡くなったらしくて。仕事熱心な人だったみたいでね、今も校舎の見回りをしてて、夜遅くまで残ってる院生に『早く帰りなさい』って言うらしいわよ」

|| THE END ||

* あとがき *
そんなわけで真冬の花火と心霊話。