文字サイズ: 12px 14px 16px [04:聖域]

 神殿には、人知の域を超えた代物が数多く存在する。それをが身をもって知ったのは、虫の音も涼しい秋のある夜だった。
「おい」
「……はい」
「貴様、あと何回寝るなと言われたらわかるようになる」
 わかんない、と答えようとしては寸でのところで堪えた。そんな言葉を口にしたら、最悪神殿から突き落とされる。飛べない身ゆえ、落ちたらあとは想像するまでもなく、待ち受けているのは墜落死の三文字だ。
「でもですね、さん、最近レポートで忙しかったんですよ。昨日も一時過ぎまで書いてたって」
「それはこいつの計画性のなさが招いた結果だろう」
 なんだかんだと言って、ピッコロはのことをよくわかっている。少なくとも、今回の理由については、百点満点パーフェクト花マルをやってもいいほど見事に言い当てている。だからこそも反論はできない。
 しかし、それもいつものことである。テラスで夕食後の読書をしながら様子を伺っているデンデも、その彼にお茶を運んできたミスター・ポポも、そしての言い訳を代弁してくれた悟飯も。神殿にいる皆がいつものことだと考え、ほんの数十秒前までの姿勢に戻ろうとしていた。
 だが、今日はどうも勝手が違ったらしい。
「ちょっとついて来い」
「えっ?」
「いいからとっととついて来いと言ってるんだ」
 思わぬ言葉にと悟飯が顔を見合わせる。まったくもってピッコロの考えが読めない。どこに行くのやら、何をするのやらも、その表情からは微塵も読み取れなかった。
「お前はここにいろ」
 立ち上がった悟飯に対してピッコロが指をさす。それがまた不可解だ。修行の時はいつも三人一緒というのが当然で、ばらばらになったことなどほとんどない。なったとしても、せいぜいピッコロが単独行動を取るだけだ。
「でも……」
 だが、そう呼びかけた声も受け取られなかった。ピッコロはさっさと宮殿の中に引っ込んでしまい、少し行ったところでが来るのをいらつきながら待っている。初めはも意味がわからず首を傾けたが、三度目の催促に慌てて走り出した。テラスでは、デンデとミスター・ポポがぽかんと口を開けて事の次第を見守っている。
「い、いったいどうしたんでしょうか、ピッコロさん……」
「ううん、僕にもよく……」
 テラスから身を乗り出して尋ねてきたデンデに悟飯も首を振る。ピッコロとが向かった方を見ても、ぼんやりとしたろうそくが灯っているだけで、もはや二人の姿は見えない。
「何か起こらなきゃいいけど」
 何となく胸に過ぎった不安を口にするも、それが大当たりだなんてこの時の悟飯には知る由もない。まさに、悪いことほどよく当たるとはこのことか。数分後、戻ってきたピッコロの姿にまさか、とさっと顔から血の気が引いた。
「あの、ピッコロさん」
「何だ」
さん、どこやっちゃったんですか?」
 一緒についていったはずのの姿がない。どこを探しても、ピッコロの後ろを探ってもいない。
「もしかして……」
「先に寝かせておいた」
「えっ」
 素っ頓狂な声を上げたのは、下まで降りてきていたデンデだった。
さん、寝ちゃったんですか」
 トランプしようと思ってたのに。そう残念そうに呟いた彼と違って、隣のミスター・ポポは首を捻るばかりだ。
「おかしい」
「何がです?」
 疑問の声に悟飯とデンデが視線を合わせる。何か不都合なことでもあるのかと考えてみたが、どうにも思い浮かばず、次の言葉を待っていると、やがて求めていた答えがあった。だが、それでも何がおかしいのかまではわからない。
「ポポ、まだベッドの用意してない」
「ベッド?」
「シーツは洗った。でもまだ敷いてない」
「だっ、だけど。さんは寝ちゃったってピッコロさんがおっしゃって」
 三人の視線が腕を組んだままのピッコロに集中する。口には出さずともずばり、聞きたいことはただ一つ。を『どこに』寝かせたのかということだ。
 神殿で常にベッドの用意がされている部屋は少ない。神であるデンデが使っている主寝室、その隣にあるミスター・ポポの部屋、そして廊下を挟んで反対にあるピッコロの部屋、その三つだけだ。あとは、客人の数によって随時ミスター・ポポが用意する。
 しかし、その三部屋のいずれにが寝ているとは考えにくい。主寝室はまず、デンデが招き入れない限り、ピッコロは入りもしないだろう。ミスター・ポポの部屋もまた然り。ピッコロの部屋ということも考えられなくはないが、彼もそのうち寝るというのに、わざわざそこに寝かせ、自分が寝る時に別の部屋に運ぶなどと二度手間になることをするだろうか。
 そうだとすれば――何か、とてつもなく嫌な予感がする。悟飯の直感がそう察知した。聞いてはいけないような、しかし聞かなければいけないような。妙な緊張感に喉が渇き、ごくりと一回唾を飲み込む。そうして、
「あのう、さんは、どこで寝てるんですか?」
 悟飯の問いかけに、ピッコロはあっさりと答えてくれた。何をこんなに緊張していたのか、こちらが拍子抜けするほどの言い方だ。
 もちろん、答えの内容は全員が絶叫するほどのとんでもないものだったのだが。

* * *

「ちょ……何でこんなに……」
 は一人頑張っていた。ドアノブに手をかけ、体全体で押してみても全力で引っ張ってもビクリともしない扉を相手にもう二時間。いや、それだけではない。ピッコロに「好きなだけ寝ろ」と言われてこの部屋に放り込まれて以来、もう存分に睡眠をとっている。
 放り込まれてすぐ脱出しようと頑張ってみたが、どうにも無理だった。そうこうしているうちに疲れ、どうせベッドもあるんだし、と横になって何時間か。時計がないので、いや、時計はあるのだが、時間のまったくわからない砂時計ゆえ、今が何時で、自分がどれほど寝たのかはわからない。ただ、起きたら腹がすいたので、ベッドのそば、キッチンらしきところにあったりんごをほうばった。飲み物も、水でよければいくらでもある。他にも果物や、ちょこちょこ食事ができそうな程度の食べ物はあったので、当分「腹がすいて困る」という状況にはならなさそうだ。
 ただそれにもおそらく限りがある。それが尽きた時と考えるとのんびりとしてもいられない。
「いったい、ここは、どこなのよー!」
 扉を押す勢いに合わせて叫んでも、答えてくれる人は誰一人いない。扉を開けようと懸命になっている彼女の後ろには、何もない真っ白な空間がどこまでも広がるばかりだ。空もなく、土もなく、ただただ白い。そのとんでもない光景はもう十二分に見て飽きた。ずっと見ているうちに何だか恐ろしくなって見るのを止めたほどだ。
「ダメだ。開かない」
 見ればそれほど荘厳な扉でもない。見てくれだけを思えば、図書室の扉の方がずっと立派にできている。だが、でも開けるあの扉と違い、この扉は中に何か仕込んであるのでは、と思うほど重い。
「悟飯くーん、えすおーえすっ」
 そう言っても当然返事はない。ためしにドアをモールス信号の要領で叩いてみるが、やはりうんともすんとも返事はない。この不思議な空間に閉じ込められて、今まで何度助けを呼んだか。それでも悟飯の姿はおろか、放り込んだ当の本人すら顔を見せやしない。すでにその恨みは湧いていたのか、ベッドのサイドボードには、あらかじめ用意されていた紙に添えつけのペンで、ピッコロに対する恨み言と呪いの言葉がつらつらと綴られている。もはや、正気の沙汰ではない。
「くっそー! もし出られたら仕返ししてやるんだからーっ!」
 目いっぱい力を込めて扉を押す。負の感情は限りないパワーを生み出すとか何とか。だが、それをもってしても、がここから出られる可能性はとてつもなく低い。

 ちょうど同じ頃、悟飯たちは神殿の最下層部へと向かっていた。もはや一刻の猶予もならない。こうしている間にも、の居る場所ではどんどん時間が進み、それに比例して体力や気力も落ちていっているはずである。
「何だって精神と時の部屋なんかにっ」
「いちいち眠いとやかましいからだ」
「だって、あそこは重力が! 僕たちならまだしも、さんが耐えられるとは到底思えませんっ」
「ああ、それは――」
「何のんびり歩いてるんですっ。もっと早く! 走ってくださいっ」
 言いながらも悟飯は一人、凄まじい勢いで階段を降りていく。後ろからデンデやミスター・ポポもついてきているが、とても追いつけるようなスピードではない。急かされたピッコロはといえば、少し歩を早めてみただけで、どうやら急いでいる様子はなさそうだ。
 やがて、先陣を切る悟飯の前に見慣れた扉が見えてきた。魔人ブウとの戦いで一度破壊され、また修復された部屋の入り口だ。シンプルなつくりながらも、この神殿で一番影響力の強い異次元ということで、その扉は頑丈にあつらえてある。ある程度の力がある者でないと、入り口を開くのですら難しい。
 だが、その扉をバンと勢いよく開け、悟飯は声の限りに叫んだ。
さーん! ご無事ですかーっ」
 目の前に広がるのは真っ白な無限。目を凝らしての姿を探してもどこにも見当たらない――となれば、もしや扉の裏側に、と一歩踏み込んだその時だった。
「あーっ、悟飯くんだ!」
 開かれた扉の端、仰向けでころんと転がってきたのはだった。右手にみかんを持ち、左手には食べかけのバナナという最高のいでたちで、嬉しそうに立ち上がるを見て、悟飯もどっと安心の波が押し寄せる。
「無事だったんですね、さん!」
「助けてくれるって信じてたよーっ」
 ひしと抱き合い、再会の喜びをかみ締めているうちに、頑張って悟飯の後ろを追いかけていた二人もようやく部屋へと辿り着いた。
さん、よくぞご無事で!」
 今度はデンデも加わり、今にも踊りだしそうな三人の後ろ、にこやかな笑みを浮かべているミスター・ポポがふと振り返る。ようやく最後の一人がのんびりと――まるで余裕綽々といった顔で到着したのだ。
「そら見ろ。何もないだろうが」
 到着して早々発された言葉に、喜びの輪がぴたりと止まる。到着自体には気付いてなくとも、声を聞けば、いったい誰がそう言ったのかは、顔を見るまでもない。だが、声を聞いて一瞬阿修羅のごとき顔になったがふとため息を吐いた。
「まあね、ピッコロさんも悪気があって――」
「だいたい、地上と同じ重力で、たかだか数分入ったくらいでどうにかなるものか」
「は?」
「だからオレは慌てることはないと言ったんだ。それをお前ら、ばたばたと慌てやがって」
 お前ら、と言われた悟飯やデンデは何が何だかわからないといった顔でピッコロを見つめるばかり。
「あの、ピッコロさん。地上と同じ重力って」
「こんな軟弱な奴が十倍の重力に耐えられるとは思わんからな。突っ込む時に重力を合わせておいたんだ」
「ってことは、さんが入ってたのは五分ちょっとだから……なーんだ、たった一日半なんですね!」
 あっけらかんと言い放った悟飯の言葉にはぎょっとした。どうにも自分に分が悪いような展開ではないか。先ほどまでの必死の形相はどこへ行ったと問いただしたいほど晴れやかな悟飯の笑顔はどうにも「心配だ」というものが欠片も感じられない。
「ちょっと待って、五分ってどういうこと? 私、もう三回も寝たんだけど!」
「精神と時の部屋は、外界での一日が一年に相当する。さらに言えば、外界での一分がだいたい六時間。お前がここで過ごしたのは、外界の時間で言えばたった五分ということだ」
「えーっ!」
「大丈夫ですよ、さん。僕もお父さんと一緒でしたけど、あの中に一年いましたし。ピッコロさんなんて一人で一年いたんですよ! それに比べたら――」
「じゃないわよ! 私はね、一人で寂しくて悲しくて、もう一生出られなかったらどうしようとか、このままピッコロさんが忘れちゃったらどうしようとか、いっぱいいっぱい考えて、出ようとして、ちょっと寝てご飯食べて過ごしてたのに! ――それなのに何が『大丈夫ですよ』なのよぉぉぉ! どこが大丈夫だってのよぉぉぉぉぉ!」
「うわっ、さん、ちょっと、ちょっと待ってください!」
 ピッコロに向けていた牙を悟飯に向け飛びかかったの勢いに押され、悟飯がその場に倒れた。さらには馬乗りになり、悟飯の襟首を掴んでがくがくと揺さぶり続ける。その光景にさすがのピッコロも唖然とし、デンデに至っては、
「あ、あわわわ。ど、どうしましょう、どうしましょうピッコロさん」
 と、ピッコロの体に縋りついて震えるばかりだ。
「ピッコロ、何とかしないと悟飯危ない」
「う、うむ」
 ミスター・ポポの言葉に慌ててピッコロがを引き剥がしにかかり、事態は何とか収束に向かったが、なおもの怒りは治まらない。
「何だってのよ、何だってのよ! みんなして、私が一般人ってこと忘れてるんじゃないのぉーっ!」
 神殿の人々には決して理解されない悲しい叫びは螺旋階段を走り、美しい秋の星空へと吸い込まれていった。

|| THE END ||

* あとがき *
みんなでハッピーなラストにするつもりがただのドタバタに……。