文字サイズ: 12px 14px 16px [05:雷雨]

 ぽつっと一粒落ちてきたのが始まりだった。
 しゅっと吸い込む音と同時に乾いた荒野は水に満たされていく。そこここに大きな雨粒が作り上げた水たまりができ、そこにさらに雨粒が落ちて大きな波紋を作っていく。その中を、ばしゃばしゃと走る影が三つ。
「いきなり降ってきましたね」
 悟飯が空を見上げれば、ほんの十数分前まで星の瞬いていた空は、暗く重い雲に覆われていた。この調子ではいつ止むとも想像がつかない。
「だけど、こんなに降ってくるもんなの?」
「いや、確かに珍しくはある」
 大きくせり出した岩棚の下、焚き火を囲み、三人で空を見上げながら言葉を交わす。
「たまに降るんですよね。しかも急に降って来て、ひどくって。そういえば――」
 悟飯が昔過ごしたこの地のことを話そうとしたその時、カッと三人の顔が光に照らされた。そして直後に響く轟音と僅かに揺れる大地。それに対する反応は三者三様だった。ちっ、と舌打ちをしてみせたピッコロ、そして思わず肩をすくめた悟飯。その間で、二人の服をしっかり掴んで顔をしかめるの姿。
「今の、絶対落ちたよね」
「と、思います」
 やだなあ、とが呟いたその時、その腕を僅かに滑る水滴があった。拭おうと思って悟飯の服を掴んでいた左手を離し、右手へと視線を移せば、水滴がどうして垂れてきたのかもおのずとわかった。
「やだ。ピッコロさんのマントびしゃびしゃじゃない」
 それは彼を思いやる言葉ではなく、ただ単に自分の手が濡れたことに対する不満だった。それに気付いたのか、ピッコロもまた不機嫌そうに己のマントへと手をかける。
「だったらとっとと離せ」
 言いながら、水を吸って重くなったマントを引ったくり、瞬時に新しいものへとすり替える。叩きつけるように降る雨の勢いか、からりと乾いたマントの裾がちらちらと揺れていた――とここで、小さなくしゃみが飛び出した。
「なんか寒くなってきた……」
 ぶるっと身震いすれば、ぷつぷつと鳥肌が立っていく。いくら火にあたっているとはいえ、服がずぶ濡れならば、体温はどんどん奪われていくのが自然の摂理。ぎゅっと紫の胴着を絞れば、ぼたぼたと音を立てて水が滴り落ちていく。それは悟飯も一緒で、先ほどからあちこちを絞っては、また場所を変えて、を繰り返していた。
 そうとなれば、二人の視線は自然とある一点に集中する。一人、乾いた服を着て涼しい顔をしている男だ。
「悟飯くん。一人だけ乾いた服着てるのってどう思う?」
「……ちょっとずるいですよね」
「私たちはこうやって火にあたって乾かしてるのにねえ」
「このままじゃ、乾くまでにはまだ時間がかかりますよね」
 小声で話してもこの距離、ましてや相手は人間とは比べ物にならないほど耳のいい男である。その嫌味を拾えないはずがない。
「――言いたいことがあるならはっきり言え」
 ピッコロがすでに怒りを交えた声で振り返り、睨みつければ、じっとりとした四つの瞳と交差する。その恨みがましい視線に少々うろたえはしたが、それもここは「フン」と一声、その視線を払いのける。
「だいたい、お前らが火を出せと言ったから出してやったんだ。それなのに今度は何だ? 服を出せとでも言うのか?」
「何だ、わかってるんじゃない」
「ふざけるな。それでさっさと乾かすんだな」
 そう言ってまた外へと視線をやると、今度は火を挟んで反対側から自分を呼ぶ声がする。
「寒いんです」
 悟飯がそう言ったとたん、ピッコロの表情がぴくりと動いた。
「……火にあたってるだろうが」
「だけど、このままじゃ確実に風邪ひいちゃいます」
 ねえ、とに振れば、もまたこくこくと頷く。そうして二人で顔を見合わせ、もう一度ピッコロを見れば、もう勝負は決まったようなものだ。とたんに二人の服は、新しいものへと変わった。
「ついでにもういっこお願い」
「何だ」
「タオルちょうだい」
 がそう手を差し出せば、一瞬顔をしかめて、それでもすぐに柔らかなタオルを出してくれる。何だかんだと言って面倒見がいいのだ。
「ありがとうございます、ピッコロさん!」
 二人して礼を言うと、ふっと顔を背け、
「……風邪をひいたと文句を言われては敵わんからな」
 そう呟く天邪鬼ではあるのだが。
 だが、そんなのんびりとしたひと時も終わりを告げる。ズシン、と重い音と共に大地が揺れ、瞬間、三人は顔を見合わせた。雷は相変わらず荒野のあちこちに落ちてはいるが、それとはまた違う揺れだ。だいたい、先ほどのような揺れではない。地が揺れているのは元より、その重い音はどちらかと言えば、頭上の岩を揺らすように響いているような気がする。
 ズン、ズンと等間隔で響く音は明らかに雷ではない。誰もがそう思ったその時、耳をつんざくような鳴き声が響いた。
「ちょっと見てくる」
 言うが早いか、岩の外へと飛び出したピッコロが戻ってくるのに数秒かかっただろうか。今や、岩棚の天井はバラバラと音を立てて、石の欠片を降らしていた。
「今すぐ逃げろ!」
 その声に悟飯が慌てての腕を引っ張り、雨の中へと飛び出す。視界に赤い色がちらりと過ぎり、頬を打つ雨を拭いながらが顔を上げたそこに、岩棚を揺らしていた正体がいた。
「あ、あれ……」
 岩棚の上にいたのは一匹の翼竜だった。まるでこの豪雨を喜ぶかのように、何度も飛び上がっては岩の頂上やら岩棚に足をつけ、そのたびに岩全体が悲鳴を上げる。あの音と揺れはこれだったのか。そう納得したのも束の間、激しく地面が揺れ、思わずその場に倒れこむ。降り続ける雨の中、つい先ほどまで雨宿りをしていた岩が崩れ落ちるさまを目の当たりにして、はあんぐり口を開けるより他にない。もしあと一分、いや、三十秒遅れていたら、今頃自分はあの岩の下敷きになって死んでいただろう。しかし、何とか助かったという安心感と同時に、なぜこんな目にばかり、とそんな思いが過ぎり、ふとため息をついたその時、またしても眩しい光が二人を照らした。チリッと何かが頬を掠めた気がしたが、それよりも鼓膜が破れるのではないか、と思うほどの轟音と揺れが再度響く。
「ちょっと……これは逃げた方がよくない?」
「……僕もちょうどそう思ってたとこです」
 耳が元に戻ったところでそう言ってはみたが、腰が抜けて動けない。それもそのはず、雷がその跡を描いたのは、岩棚が崩れたばかりの目の前の岩だったのだ。そして何より慄くべきは、先ほどの雷と共に目の前に落ちてきた翼竜のぴくりとも動かぬ姿。
 天を見上げれば雲を不気味に照らす稲妻が未だうごめいている。そして、その雲と地の間にいたのは、先に岩棚を飛び出したピッコロだった。
「とにかく、上に行きましょう」
 腰が抜けたままのを抱え、悟飯もまた宙に浮く。するすると昇っていけば、先ほどあれだけ遠くに見えたピッコロの姿が、もう目の前にあった。
「神殿に戻るぞ」
 そう言ってまた上へと昇り始めたピッコロの後について、悟飯が雲を目指して昇っていく。まさかあの雲に突っ込む気じゃ、と抱えられたままのが不安になったその時、目の前に光の柱が見えた。ただ、それが雷でないことだけはわかった。光は真っ直ぐ、天へと向かって雲を引き裂いていったのだから。

「と、言うわけでここまで逃げてきたのよ」
「それはまた大変でしたねえ」
 神殿に着いてすぐに温かい湯が用意され、さらにミスター・ポポご自慢の料理が並べられ、今こうして食後のお茶を楽しむ、という至れり尽くせりの待遇の中、の話に同情の意を示したのはデンデだった。生来の聞き上手もあってか、こうして彼に話せばなぜか溜飲も下がってくる。さんざんだった、と疲れきっていたの顔も今ではすっかり穏やかだ。
「今夜はゆっくり休んでいってくださいね」
「ごめんね、デンデ。急にお邪魔しちゃって」
「そんな、来てくれただけでも嬉しいです」
 デンデがそう言って笑えば、悟飯との顔にも笑みが浮かぶ。ああ、今日はぐっすり眠ろう。そう思えば自然とあくびも出てくる。だが、ここで二人の動きを止めたのは窓辺に腰かけていたピッコロのいつになく元気な声だった。
「よし、修行の続きをするか」
 えっ、と声が漏れたのは誰の口からか。
「ちょっと、ピッコロさん。それ冗談でしょ?」
「今日はもう寝ましょうよ。ほら、ピッコロさんも疲れてるでしょう?」
 二人してそう言っても、ピッコロは首を振る。どう見ても疲れているという風ではない。それどころか、少しばかり顔色が艶やかだ。と言うより、全体的に生き生きしている、と言った方がいい。
「あのう、デンデくん」
「はい、何でしょう?」
「ナメック星人って、雨に打たれたらどうなる、とかあるの?」
 もしや、と思って尋ねたの予想は大当たりだった。
「はい。すごく元気になれますよ!」
 デンデの輝かんばかりの笑顔に、地球人二人の口から盛大なため息がこぼれたのは言うまでもない。

|| THE END ||

* あとがき *
おかしい、雷雨で云々だったはずだったのに、ピッコロさんの秘密その○○に……。