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「バカは風邪をひかんのではなかったか」
 ピッコロのそんな嫌味も受け取られることなく宙に消える。いつもなら真正面から受け止めた挙句、三倍返しをしてくる相手も今はむすっと首を振るだけで、張り合いがない、とピッコロは心の中でこぼす。その横でかいがいしくタオルを取り替えているのは今朝一緒に神殿に遊びにきた悟飯、その後ろではらはらおろおろとしているのがこの神殿の主デンデだ。
「僕が病気も治せたらよかったんですけど……」
 しょんぼりと触角を下げたとともに泣きそうな顔をしたとたん、ベッドの中のが今度はぶるぶると激しく首を振った。
「風邪なんて誰でもひくもんなんだから。それより」
 ふと頭に浮かんだ疑問は、このウイルスはナメックには作用しないのか、ということだった。人間にとってはただの風邪であっても、もしかしてナメック星人には、とんでもない症状を引き起こすかもしれない。もしそうでないとして、人間と同じ症状が出るとしても、地球の神たるものが風邪で寝込むのはいろいろと問題があるのではないか。
 だが、の疑問は一笑にふされた。ピッコロ曰く、そのようなものにいちいち感染していたとしたら、ナメックのような長寿はありえないという。
「それよりも悟飯、さっさと寝た方がいいんじゃないのか」
「えっ、僕ですか?」
「こいつがこれだけばら撒いてるんだ。お前が感染していないとは限らん」
 朝から小さな咳を繰り返していたの側にずっといたのだから、という彼の言葉はもっともなのだが。
「大丈夫ですよ。僕、ここ十年ほど、一度もひいてませんから」
 悟飯がそう言ったとたん、布団にもぐりこんでいたがぎょっとしたような顔をした。確かに、世の中にはほとんど風邪をひかない人間もいるという。常に健康で、たとえウイルスが体内に侵入したとしても、症状が出る前に退治してしまうような人も珍しくはないという。しかし、そんな貴重種が目の前にいたとは。
「それに、さんも心細いだろうし」
 病気の時はそうなるものですよ、とピッコロに告げると、そのピッコロが無言でを見てみろとあごでしゃくる。振り向いた悟飯の目に映ったのは、先ほどまでとは打って変わって、目を半分近く閉じて、今にも眠りに引き込まれそうなの姿だった。
「飯も食って安静にしているんだ。あとはほっといても治るだろう」
「本当に大丈夫でしょうか」
「デンデ、お前もやれるだけのことはやっただろう。あとはこいつが自分自身でどうにかする」
 病気と闘うのは本人だと言われれば、もうデンデには反論する余地はない。
「そうですね。一秒でも早く治るよう、祈っておきます」
 そう言って、部屋に灯された唯一の明かりを吹き消す。月明かりだけが降り注ぐようになった部屋の中、皆が出て行った後に残ったのは、少しばかりいつもより荒い、の寝息だけだった。

* * *

 ふと目を覚ましたとして、時計もなければテレビもない。今が朝か夜かだけが、まだ窓の外で輝く月のおかげでわかるくらいだ。
 そんな中目を覚まして、は必死にあたりを見渡した。暗闇に慣れていない目では、どこもかしこも真っ暗で、突然鼻をつままれてもわからない。だが、何とか集中して人の気配がしないことだけはわかった。ならば次は、頭を動かした拍子にずれた生ぬるいタオルをどう交換するか、ということだ。
 一人暮らしを始めてから何度か高熱を出したことはあったが、気力を振り絞って万端の準備をしてからベッドに潜り込むようにしていた。どれだけ看護がほしいと思っても、部屋にいるのは自分だけなのだ。そうするよりほかに方法はない。
 だが今日は違ったのだ。熱でふらついたとたん、担がれてベッドに放り込まれ、食事が出され、タオルを代えてもらえる。至れり尽くせりの看護を受けたからこそ、今こうして部屋の中でぼんやりとしている。
 それでも、普段泊まってる部屋を思い描きながら身をよじり、ベッドサイドに手を伸ばすと、何か冷たいものが手に触れた。同時に陶器の音が耳へと入ってくる。そのまま形を探れば、すぐにふちへとたどり着き、これがどうやら洗面器であるとあたりをつけた。
 次の瞬間、は信じられないものを目にする。突然部屋の中に一点、明かりがともったのだ。
「目が覚めたのか」
 入り口に見えたのは見上げるほどの長身、ピッコロだった。どうやら、が目を覚ましたのを察知して起きてきたらしい。それは、いつものターバンとマントを身に着けていない姿から想像できる。
「タオルをよこせ」
 手を差し出されて、思わず左手に握ったままのタオルを突き出すと、彼は手馴れた手つきでそれを水に浸した。先ほど、が洗面器だと予想をした、その器だ。触れた時に冷たいと思ったのは、水の中に氷が浮かべられていたかららしい。まだカラカラと音を立ててぶつかり合う氷の中から、顔色一つ変えずタオルを取り出し、そのまま軽く絞る。軽く、といってもピッコロにとってそうであるだけで、明かりに照らされているタオルは、しっかりと水が切れて固まっている。そのカチカチのタオルがまた開かれ、そのままの額へと乗せられる。先ほどと違い、ひんやりとした感触にほっと安堵の息が漏れた。
「ほかに何かあるか」
「ううん、もういいよ。ありがとう」
 そう返すと納得したように頷いて、ピッコロはろうそくに指をかざした。とたんに、部屋はまた闇に包まれる。そうか、先ほどもこうして火を灯したのか、と納得しているうちに、入り口の布が擦れる音が聞こえ、やがて気配もなくなった。部屋にはまた一人。再び眠りにつこうとしたその時、頭の中で、ぽろりと音を立てて、引っかかっていたものが落ちてきた。
 あの仕草といい、あの言葉といい、何かが違うと思っていたのだ。意識はせずとも、妙な違和感を感じていた。
「心配……してくれてるのかな」
 もしかして、といった考えに行き着き、一人ほくそえむ。気付けばそれは、おかしくもあり、嬉しくもあり。
 そういえば、タオルを代えてくれた時額に触れた手も、どこか温かかったような気がする。そんなことを思いながら、は目を閉じた。
 部屋を包む闇は、少しずつ薄らいできている。

|| THE END ||

* あとがき *
無理やりお題風 in 風邪っぴき。