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 はあっと吐いた息が白いぬくもりとなって宙に消える午前二時。ましてやそれが、寒さ厳しい十二月だとしたら、何を好き好んでこんな天空のテラスで星を眺めているのだろうと尋ねられること請け合いだろう。
「しかし、ここから見る星空はまた格別ですね」
「デンデくんは毎日こんな風景見てるのね。羨ましいなあ」
 そう言った二人のすぐ後ろのテーブルにことり、と大きなカップを乗せた銀の盆が置かれた。
「僕は普段眠ってますから……こうやって真夜中に星を見るのも、本当に久しぶりなんですよ」
 そう言って、この宮殿の主は二人へとマグカップを差し出す。湯気に乗って、ふわりとチョコレートのいい香りが鼻腔をくすぐる。が家から持ってきたココアを、ミスター・ポポがこれでもかというほど素晴らしく練り上げ、絶妙な味に仕上げてくれたものだ。なるほど、地球の食に関して毒か無毒かしかわからないナメック星人が三分の二を占めるこの神殿で、この甘くもなく苦くもなく、という味わいを出せるのは彼を置いて他にはいない。
「ここまで来るのは寒かったでしょう」
「そりゃ、冬だしね」
「大学では雪が降っててね、上空から見ると本当に綺麗だったよ」
 嬉しそうに言った悟飯に対し、がふるふると首を振る。
「今は綺麗だけどね。明日かあさってにはドロドロよ」
 何より、山の間に作られた町は寒い。つい先ほども、これでもかというほど着込んでここへと来たのだ。その時の身を切るような寒さと言ったら! 常に温度が一定に保たれた神殿に着いたとたん、は指先から溶けてしまうのではないか、と思ったくらいだ。
 だが、そんなの説明にもデンデはどこか聞いていない風で、二人の手の中にあるカップをまじまじと眺めている。
「デンデ、どうかした?」
 先に気付いた悟飯がそう声をかけるも、なかなか訳を話さない。それでも悟飯との二人にせっつかれ。
「その、『ここあ』という飲み物はどんな味がするんですか?」
 照れながらもどこかわくわくとした表情でそう聞いてきたデンデにそういえば、と悟飯とは顔を見合わせた。この神殿に今で言う「ココア」を持ち込んだのはが初めてなのではないのか。
「初めて『こーひー』を見た時もびっくりしましたけど、その『ここあ』はもっとびっくりしました。土みたいで……」
 確かにミルクに溶かす前の様子を見れば、そんなにおいしそうな代物には見えない。だが、こうして悟飯やが表情を和らげて口にするのだから、それはもう美味であるのだろう、と今だ勉強中の神は判断したのである。
「まあ、ココアの粉自体は苦いけどね。こうやってミルクとお砂糖をいれると、ものすごく甘くなって、ふわーっと口の中で蕩ける感じになるの」
「蕩ける感じ、ですか?」
 頭の中で、いつもミスター・ポポが菓子を作る時にとろりとバターが溶ける様子を思い描いたデンデだったが、それが口の中で起こるなんて想像できないな、と笑った。
 ナメック星人は水しか口にしない。しかしそれは、あの恐ろしい天変地異の後、あまりにも乏しい環境の中で唯一存分にあったのが水であったため、それだけを摂取しても生き延びていけるように故最長老が卵を産み続けた結果なのだそうだ。
「天変地異が起こる前は、草や動物も口にしていたみたいです」
 以前そうデンデが教えてくれた。何でも、最長老から受け継いだ記憶の中にそんなものがあったらしい。大地に生えた草や、アジッサの新芽、カエルなども口にしていて、その名残として今も歯が残っているのだと。鋭い犬歯は、肉を噛み千切ったり、芽を枝から引き千切る時に使っていた、とも。
「僕も一回試してみたことがあるんですけど、ダメでした」
 まだ幼い頃、アジッサの苗木を少しかじってみたことがあったらしいが、口の中が痺れたような感じになって、その様子を見ていた大人に慌てて吐き出させられたのだという。
 デンデとミスター・ポポの話から総合するに、先代神は天変地異の最中に生まれた存在で、主食は水に移りつつも少量の草木を口にしていたのだろう。だから、ユンザビット高地という、草木も水も少ない場所にやってきても両方を摂取して生き延びることができたのだろう、と。それは悟飯の推測に過ぎないのだが。
 ならば、その先代神の遺伝子を受け継ぐピッコロは物が食べられるのではないか、とは提唱したが、どうやらそれはすでに悟飯が実験済みだったらしい。口に物を放り込んでも、『噛む』という行為すらせず、ただ戸惑っていた、と苦笑しながら教えてくれた。
「甘くて蕩ける感じ……何だか、幸せそうですねえ」
「冷えた体に染み渡るみたいにココアが広がっていくんだ。そういう時はやっぱり『幸せだなあ』って思うよ」
 ナメック星人が持たない感触を伝えるのは至極難しいことではあるが、今までの付き合いの中で、悟飯とがそれを嫌がったことは一度たりともない。いつだって、二人でああでもない、こうでもないと議論を交わしつつ、なるべくデンデにもわかるように説明してくれる。それが未だ勉強中の身であるデンデには何より有難く、丁寧な礼を述べながら、絶対に忘れるものかと頭の中に叩き込むのだ。その瞬間、自分がまた一歩地球の神として前進できたのではないか、と幸せな気分になる。
 話しこんでいるうちに、手の中のマグカップはすっかり空になっていた。体も十分温まり、二人とも無意識のうちにほうっと息をつく。
「ああ、おいしかった」
「本当にポポさんは、何をやってもハイレベルね」
「そうか。よかった」
 後ろから聞こえた声に皆が振り返れば、そこには夜の闇に溶け込んでしまいそうなほど黒い肌をした世話役の姿があった。とたんに、悟飯とは笑顔で「ごちそうさま」と声をかける。それに満足そうに頷いたミスター・ポポの視線が、ふとある一点を見たまま止まった。
「おい。星を見に来たんじゃなかったのか」
 かけられた声に今度はテラスの外へと顔を向ける。そのまま、声をかけてきた張本人は体を反転させると、ふわりとマントをなびかせ、テラスへと腰をかけた。とたんに悟飯とは、その両側を固めるように、テラスから身を乗り出し空を見上げる。
「あ、デンデくん! 今流れたよ!」
「ええ? 本当ですか?」
 デンデも慌てての隣へと駆け寄るが、すでに星は流れた後で、ただ動かぬ星たちがきらきらと瞬くばかり。
「大丈夫だよ、デンデ。今から嫌ってほど流れるから」
 笑いながらそう言った悟飯に、デンデは「はい」と小さく返事をして空を見上げる。
「そういや、さんは何か願い事考えました?」
 ふとそんな問いかけを口にした悟飯に、は「もちろんよ」と答えて。
「ざっと二十個くらい考えてきたしね。今のうちにお願いしとかなきゃ」
「わあ、多いですねえ。……僕も十個くらいは考えてますけど」
「お二人ともすごいですね。えーっと僕は……」
 そんな会話をしていた三人に、ふとピッコロが口を挟んだ。
「下手な鉄砲も何とやら、という寸法か」
 とたんに抗議の声を上げたのはだった。さらに「ピッコロさんにはロマンのロの字もないんだから」と余計な一言までつける。だが、ロマンなどくそくらえだ、と考えるような彼には通用しない。
「でも、ピッコロさんも何か一つはお願い事、考えてますよね?」
 デンデがそう言ってもフン、と鼻で笑っただけでピッコロは答えない。ただ、心の中で「この平和が長く続くように」とらしくもないことが思い浮かび、口の端を微かに吊り上げ、空を見上げる。
 今、この地球上でどれほどの人がじっと空を見上げているのか。壮大な天文ショーが始まろうとしている。

|| THE END ||

* あとがき *
神殿では流星群が綺麗に見えるでしょうね。羨ましい。