文字サイズ: 12px 14px 16px [10:眠り]

「いつもと変わんないけど、なんかちょっと違うよね」
 いきなりそう口走ったに悟飯は不可解と言った表情を向ける。
「ねえ、ちょっと変じゃない?」
「何がですか?」
「何って、ピッコロさん」
 当然のことのようにそう言って、が指差した先にいたのはいつもと変わらず瞑想をする師匠の姿。それなのに、なぜ彼女は「違う」だとか「変」だと言うのか。悟飯がその答えを尋ねようとしても、当のはどうやらそれにかかりっきりになっているようで、もはや彼の目を見ることもなく、おそるおそるといった様子でピッコロへと近付いていく。
 ああ、そんなにこっそり近付いてもきっとバレてますよ、と言いたくもなるが、はこそこそと草に隠れるように腹ばいになって一歩、また一歩と目的目指して前進していく。さながら、ネコが不可思議な物体を前にそろそろと近付いているのに似ている、と考えて、悟飯は一人噴出しそうになるのを堪えた。
 どんどんピッコロとの距離は近付いていく。三メートル、二メートルと縮まり、そろそろピッコロも目を開いて「何をしている」と淡々と尋ねるか、「修行の邪魔だ!」と怒鳴りつけるか。そう思った時にようやく、悟飯も今目の前にいる師匠のおかしさに気付いた。
 何も反応を示さないのだ、あのピッコロが。人一倍気配に敏感で、たとえ悟飯であろうとも近付いていけばすぐさま目を開き、少々不機嫌そうな声で問いかけてくるはずのピッコロが、があれほど近付いても何も反応を示さない。――彼女が言った「違う」ことはこれだったのか、と今更ながら納得した悟飯の元にささっと小さな音を立ててが戻ってきた。
「寝てるよ」
「えっ?」
 彼女が口にした言葉に、悟飯は自分の耳を疑った。
「寝てるって、ピッコロさんが、ですか?」
「他に誰がいるのよ」
 気付けば小声でそう話し合っていた二人の視線が、じっとピッコロに注がれる。悟飯がちらりとを見ると、顎でしゃくって近付いてみろ、と目で言ってきて、次第に悟飯の胸にも疑惑が押し寄せてくる。
 いや、とここで悟飯は思い直した。きっとピッコロはこうやって自分たちを試しているのだと。そうだ。そうに違いない。そもそも、長期休暇に入った悟飯とに夜通し修行をつけると言い出したのはピッコロである。「いつどんな敵が現れるかわからない」という理由にその通りだ、さすがはピッコロさんと頷いた悟飯に対して、の見せたしかめ面はそれはもう見事なものだった。それでも、今こうしてしんと静まった星空の下、三人で瞑想をしていたのだ。
「本当に寝てるんですか?」
「寝てるよ。だって、すうすういってるもん」
 それだけ答えてはまた姿勢を低くした。そして、悟飯を手招きするとまたピッコロへと近付いていく。「ついて来い」と言われているのはすぐにわかったが、それと同時にピッコロが眠っているのなら邪魔をするのも悪い、という気持ちも沸き起こってくる。
 それでもやはり、興味には勝てなかったか。自分がこれでもかというほど顔を近付けても動く気配のないピッコロを見て、悟飯はふう、とため息をついた。
「寝てますね」しかも、と付け加えて。「熟睡してます」
「そうでしょ、そうでしょ」
「でもよく気付きましたね」
「だって、ほら」言うなり、は屈めていた体をさらに低くし、ピッコロの足元へ潜り込んだ。
「この距離がね、いつもは私の胸くらいの高さなのに、今はほら」
 悟飯が視線をずらすと、ピッコロが足を組んで浮いている下で仰向けになっていると目が合う。ピッコロとの距離はすでに数十センチと言ったところか。
「妙に低いなあって思ったのよ。でもすごいよね。ピッコロさん、寝てても浮いてるんだから」
 いったいどんな原理なのかしら、と呟いたについに悟飯は噴出した。
「きっと、体が覚えてるんですよ」
「体が?」
「瞑想をする時はいつも宙に浮いてますしね。きっと体が勝手にその状態を保っちゃってるんじゃないでしょうか」
「なるほどねえ」
 仰向けのまま頷いたから視線を外し、悟飯は腰を屈めて改めて師匠の顔を覗き込む。こんな距離で、こんな高さから彼の眠っている顔を拝めるなんて、これから先一生ないかもしれないだろうから、今のうちにじっくり見ておこうという算段だ。
(ピッコロさん、こんな顔もするんだ)
 普段の人を寄せ付けない、どこか険しい表情はすっかりなりを潜め、ただ純粋に生きていくための呼吸だけを穏やかに繰り返すその姿に、知らず知らず悟飯の顔も緩んでいく――とそこで、ふと視線を感じ下を向く。
「そんなにピッコロさんの寝顔見るの好き?」
 その声にはっとなった悟飯と、にっこり藁うの視線がぶつかる。とたんに悟飯は上ずった声で抗議した。
「そ、そんなことないですよ! ただ、珍しいなって見てただけです! ほ、ほら。展覧会で人が見慣れない珍しい絵に目を奪われてることってあるじゃないですか。そんな感じです」
「本当に?」
「ほ、本当です!」
 やたらと饒舌だったり、やたら強調したがるところが怪しい、とは思った。えてして人間は、虚を突かれた時にはそうやって慌てるものだという認識が頭の中にあるからだ。
「ま、そういうことにしといてあげる」
「しといてあげるも何も、本当ですってば」
「ふーん。そうなの――ぎゃっ!」
 何かがどさりと落ちる音と同時に聞こえたの叫び声。自分の目の前で起こったことが信じられず、ぽかんと口をあけたままの悟飯に、これまた普段ではお目にかかれないほどパニックに陥った声が投げかけられた。
「ど、どうした悟飯! 何だ、何が起こったんだ! 敵の来襲か?」
「ど、どうしたって……」
「何だ? 今度はどこの奴らだ! いったいどうしたと言う――ん? なぜ貴様がそこにいる」
 後半はピッコロの下でもがき苦しんでいたに向けられた言葉だ。後ろに手をつき、完全に胡坐を崩して座り込んでしまったピッコロの下で、思いのほか重いピッコロから何とか逃れようとはじたばたと四肢を動かすが、体格の差もあってそこから抜け出すことは叶わない。
「何をしている。さっさとどけ」
「ど……どけって……言われて……も……」
「うるさい! だいたい、何をどうやったらこんなことになるんだ!」
「まあまあ」
 悟飯が笑いながらピッコロの腕を掴む。そのままぐっと力を入れて手前に引きずると、それに合わせてピッコロの体がようやく持ち上げられることとなる。
「あー、死ぬかと思った。悟飯くん、ナイス救出劇」
「ありがとうございます」
 そんなやり取りが交わされても、一人ピッコロは憮然とした表情のままだ。今だ腕を掴んだままの悟飯と、ようやく起き上がったの顔を見比べては、眉間のしわをどんどん深くしていく。それもそうだろう。二人はピッコロにちらちらと視線を向けながらも、顔を見合わせてはにやにやと意味深な笑みを浮かべるばかりなのだから。
「……何だ。二人揃って」
「二人揃ってって」
「ねえ?」
 ピッコロが尋ねても二人の表情は変わらない。それでいて、二人は次にある言葉を言うかどうするか、と互いに目で問いかける。どうせ聞いたとしても本人は力いっぱい否定するだろう。ちょっとしたお説教もついてくるかもしれない。馬鹿か、と怒鳴られるかもしれない。それでも、やはり聞かずにはいられないのだ。

「ねえ、ピッコロさん。さっき寝てたでしょう?」

|| THE END ||

* あとがき *
ピッコロさん、転寝なんてしなさそう。寝る時は寝る時で超集中。
「寝る」と決めたら三秒後には夢の世界。のび太並に寝付きの良い大魔王なのでしたー(今日のわんこ風)