文字サイズ: 12px 14px 16px [April〜物体Xは新緑と共に〜]-02-

 「ボキッ」とか「ゴキッ」って音が聞こえたような気がするけど気のせいかしら。うん、気のせい気のせい。きっと私にぶつかった木か何かが折れたのよ。きっとそうよ。じゃあ、この吐き気は何かしら。
 えーっと。私、昼休みにあの馬鹿に呼び出されてカフェでサンドイッチは注文したけど、それ食べる前にあんなこと言われて飛び出してきたもんね。朝は時間がなかったから何も食べてないし、昨日の晩はバイトだったからちょっと早めに夕食とったんだっけ。よし、大丈夫。胃の中には何も入ってないから、例え吐いたとしても怪しいものは一切出ないはず。
 いくら知らない人の前だからって吐いちゃうほど、私も女捨ててないわよ。ここはぐっとこらえて我慢――してたら。なぜか、目の前がふーっと暗くなってきたような。
 いけない。ここで意識を手放したらあの緑マンにとどめをさされるかもしれないわ。そもそもあの人、生物の規格外なのよ。どうやったら蹴り一発で数十センチだったあの人と私の距離がこんなに開くことになるのよ。
 ちょっと何。その「マズい」って顔は。マズいって本気で思ってるんならさっさと救急車呼びなさいよ。くーッ! 助かったら速攻で警察行ってやる! 傷害罪、いや殺人未遂で訴えてやる!
 あ、でも待って。その前に私を見殺しにしないで。見殺しにしたらあなた、殺人罪に問われるわよ。傷害致死なんて絶対させるもんですか。殺人罪になるようにあの世から呪いのオーラ送ってやる。だから助けて。
 あれ。何だか緑マンが近付いてきたような。やだわ。よく見るとすんごい爪してるじゃない。ああ、きっととどめをさす気なんだ。とどめをさして、この山中深く埋めて証拠隠滅する気なんだ。
「おい、大丈夫か……?」
 何言ってんの。これが大丈夫に見えたらあんたの目はファンタスティックよ。
 ああ、そんなに揺すらないで。必死に堪えてるものが出て――あ、何だか生温かい……。
 じゃなくて、今もしかして舌打ちした? ちょっと、この状況でどう舌打ちなのよ。何が「チッ」なのよ。あ、もしかして私が死んでなかったから舌打ちしたの? ねえ、どうなのよ!
 そんなこと考えてたら今度は幻聴まで聞こえ出したわ。ああ、死ぬってこういうことなのね。さしずめこの声は死んだおじいちゃんが向こう岸から呼んでる声ってことか。でも変ねえ。なんで私のこと「さん」付けで呼んでんのかしら。おじいちゃん、いつも私のこと「ちゃん」付けで呼んでくれてたよね。何もそんなに他人行儀なことしなくても。
「ご、ごはーん!」
 何よこいつ。今度はこの場でご飯食べようっての? だからその前に救急車。
「ピッコロさん!」
 誰よ、ピッコロって。笛がどうかしたの。もう、ご飯とかピッコロとかわけわかんない。もしかして私の奥底に眠る願望が出てきたのかしら。ピッコロを箸にしてご飯食べるの? いや、ご飯って言ったのは緑マンだっけ。
「だ、大丈夫ですかァ!」
 ちょ……さっきよりも揺すりすぎ。意識飛ぶ。馬鹿馬鹿。こんなとこで死にたくない。冷たい土に埋もれるのはごめんだわ。せめて焼いて欲しい。焼いておじいちゃんたちの入ってるお墓に入れて。そう、お墓に。せめてお墓に。
「仙豆取ってきます! もしなかったらデンデを!」
 せんずって何。でんでって何。そんなん取ってくるより早くきゅうきゅ――。

* * *

 ふわふわ。体がふわふわしてる気がする。それでいて、こう、あったかーい毛布に包まれてるみたいな。どんな感じって、そうねえ。学校休みの日に朝ゆーっくり毛布に包まって眠ってる時かな。もちろん、二度寝限定で。
 でもそれがだんだん冷めてきて、ぶるっと寒くなってきた。えーっと、例えるなら寒い冬の朝に布団の中で目覚めちゃうような。でもまだ夢の中みたい。だって、緑色の人が二人と知らない人が一人とこっち見てて、本当変な夢。もしかして私、想像力豊かなのかしら。で、これは連れ去られた宇宙船の中で私を解剖しようとする宇宙人と、そいつらと結託して私を陥れた地球人が「しめしめ」って笑って――あれ? これはもしや緑マン!
「キャ――――ッ!」
 私は自分の悲鳴で飛び起きた。よくやるんだけどね、自分の声で目覚ましちゃうこと。でも大丈夫。そんな恥ずかしい姿を見てる人なんて、一人暮らしの私にはいな――。
 起きても、いた。夢の中と同じ奴らが。ただ違うのはとんでもなく驚いた顔をしてることかな。二人いる緑マンのちっさい方なんか驚いて、着てる服のすそがまくれ上がってるのも気にせずひっくり返ってた。何もそんなに驚かなくても。
 そんな三人の中でいち早く我に返ったのが、夢の中では裏切り者になっていた男の人だった。いかにも頭が良さそうで正直そうで純朴そうで、……その、はっきり言うとどこか田舎臭さが漂っている人なんだけど、よく考えたらこんなにいい人そうな人が悪者になるなんてとんだ夢だったのね。
「どうです? 体、まだ痛みます?」
 そう聞かれてようやく私は、自分の身に何が起こったのか思い出した。そういや、そこの白マントの緑マンに蹴られて吹っ飛んだんだっけ。あの苦痛は忘れないよ。いつか必ず復讐してやるんだから。今は痛くないし、他の人の目もあるからしないけど。ええい。いつか見てろ。
 それでも私はとりあえず答えてみた。「大丈夫みたいです」なんて、にっこり笑いながら。
 とたんに皆の顔がぱっと明るくなる。緑マンはちょっとだけ表情が緩んで、緑マン・ミニはへろーっと子供みたいな顔をして。そして私に話しかけた男は満面の笑みで。
「わあ、そうですかあ。よかったですね、『ピッコロさん』!」と。
 ちょっと待った。ちょォォォっと待ったァァァァァ!
 ここで、ちょっと問題を整理してみよう。まず、死にかけたのは誰?――それは私。じゃあ、私をそんな状況に追い込んだのは誰?――緑マン、もといピッコロさんとかいう人。それならなんで私に向かって、ではなく、緑マンに向かって「よかったですね」なの?
 そりゃ確かに緑マンもよかったかもしれないわ。殺人犯にならずに済んだんだもの。でもその前に「よかった」と言われるべきは、死の淵から見事生還した私じゃないの?
 しかし、そんなことを悩み続けてる私に対して、彼は緑マンに抱きついて「よかったですね、本当によかったですね!」と大騒ぎしていた。そう、まるで私が「たまたま」死にかけて、緑マンに容疑がかかってしまい、そんな彼の無罪潔白を裁判で証明できたみたいな騒ぎようじゃないの。そんな逆転劇、ゲームの中でしかありえないわよ。
 でもよく見てみると、緑マンの方もまんざらではなさそうな顔をしていた。だって明らかに私と顔を合わせた時とは別人みたいな顔してるんだもん。ああそう。無罪が証明されてよかったですねっと。仲良しさん?に「よかったですね」って喜んでもらえて本当によかったですねっと。……なんだか、一人だけ空しくなってきたわ。
 そんな中、緑マン・ミニがふとこっちを見た。まあ、何から何まで緑マンそっくり。ただ、緑マンに対して、緑マン・ミニはさほど性格が悪そうでもないし、何よりまだ若い感じがする。緑マンを成人とするなら、ミニの方はまだ十二、三歳って感じかな。
「でも、助かって本当によかったですね」
 何気なしにかけられた一言に私はほだされてしまった。ああ、そうね。私に「助かってよかった」なんて言ってくれるのはあなただけよ。あそこで喜んでる二人はもういなくて結構。
「ピッコロさん、本当に強いんですよ。蹴られて生きてられただけでも奇跡です」
「えー? ってことは、私ってよほど運がいいのかな?」
 思わずそう返した私に、ミニくんはにっこりと人当たりのいい笑顔を浮かべてこう返してくれた。
「というより、ものすごく生命力がある人だなあって。僕も色んな地球人見てきましたけど、あなたほどの人はあまり見たことがありません」
 そう。そんなに私、珍しいくらい生命力があるんだ。今、変な単語が聞こえたような気がしたけど、それは流してあげる。
 それより前に、『生命力がある=しぶとい』と受け取っていいのか、確認させてもらおうかしら。
「あ、あの。別に悪い意味じゃなくて……。その、本当に生命力に溢れた、素晴らしい方だなあってことです」
 残念。先手を取られたわ。じゃあ、さっき流した言葉について――と思った矢先、緑マンと例の男の人が近付いてきた。何よ。もういなくて結構って言ってないけど言ったじゃない。
「え? もう戻るんですか?」
「神であるお前があまり長い時間、神殿を留守にするのも良くないのはわかっているだろう」
「それはわかってますけど……」
 そう言ってミニくんは頭についた触角をしょぼんと下げた。うーん……かわいい、けど。
「仕方ないよデンデ。ピッコロさん、また明日かそこら辺にでも神殿に出向いてもいいですか」
「ああ」
「待ってますからね、悟飯さん!」
 ごめん。ちょっと話が飲み込めないんだけど。誰が神で神殿が何って? もしかしてこの人たち、怪しい新興宗教の人なんじゃないでしょうね。今の話からすると、あのミニくんが教祖で、緑マンはちょっと偉そうだけど実は教団の幹部で、いやもしかしたら、ミニくんは名ばかりの教祖で、教団の実権はこの緑マンが握っていたりして。それで『悟飯さん』――ああ、あの時緑マンが言った「ごはーん」ってこの人のことだったんだろうか――は信者ってことかな。うん、組織図完成。
 で、そんな私にちらりと視線をくれると緑教祖サマと緑幹部は口を揃えてこう言った。
「ではな、
さんもお気をつけて!」
 何で私の名前を知ってるの? そう問いかけるより前にふわりと浮いて、二人はそのまま空の遠くへと消えていってしまった。
 ええと。この一大スペクタクルショーみたいなやつには、お金は払わなくてタダ見でいいのかしら。後でとんでもない額請求されても、私にはとても払えないわよ。

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