文字サイズ: 12px 14px 16px [April〜物体Xは新緑と共に〜]-03-

「参ったなあ」
 飛んで(!)行く二人を見送りながら、目の前の彼はそう言って頭をかいた……って、参ったじゃ済まないと思うんだけど。納得いくまで説明してもらうまでは帰らないわ。だいたい、さっきの二人だって怪しいわよ。もしかしたら、私を怪しい宗教団体に引き込むつもりかもしれないじゃない。
 でもそれに対して彼は否と言った。そんなことだけはあり得ない、なんて。
「あ、申し遅れました。僕、孫悟飯って言います」
「そん、ごはん?」
 その名前には思い当たることがあった。確か高校を一年早く卒業した挙句、一回からいきなり三回に進級した賢い子がいるって、友達が騒いでたっけ。顔もかわいいし、狙っちゃおうかなとか何とか。……かわいい顔、ねえ。
「あの、確かさんですよね?」
「ええ。私は……ってそれ! 何であなた、私の名前知ってるの?」
「え、何でって……」
 言って彼――孫悟飯はカードを差し出してきた。どう見ても私の学生証だわ。でも何で彼がこれを?
「ピッコロさんが蹴飛ばした時にかばんの中身が散乱しちゃって。あの、一応まとめておきましたし、手帳とか大事そうな書類には一切目を通してません。ただ、これだけはきちんと手渡して返しておかなきゃって思って、はい」
「あ、ありがとうございます」
 ああ、懐かしいこの顔。大学に入った頃の私はまだ初々しい感じねえ、ってまさか。
「もしかして、さっきの二人もこれ見たとか……」
「え? そ、そうですけど。何かいけませんでしたか?」
 どおりで二人とも私の名前を知ってたわけよね。これで一つ謎が解けたわ。
「いけなくはないけど、ちょっと、ね」恥ずかしい、とまでは言わず。
「あ、すみませんでした。ただ、かばんの中身をかき集めてる時に見つけてしまったもので。あの、本当に何も見てませんから!」
 それより、とかばんを差し出してくれた孫くんの言葉に従って、一応かばんの中身を確認する。小さなポケットも全部チェックして……そこで、キラリと光るものを見つけて摘み上げる。
「あ、それ。それだけがかばんの中から出てなくて。でもなくなってたら探すの大変ですもんね。大事なものなんでしょう?」
「大事なもの……うん。大事なもの『だった』ものかな」
「大事だったもの、ですか?」
「うん。今日の昼休みまでは大切に思ってたんだけどね」
 結局気が付けば私は今日あったことを孫くんに語り聞かせてた。彼と出会った頃のこと、二人であちこち行ったデートとか、今日までにあった色んなこととか。私からすれば彼は少しだけ昔気質っていうのかな、古い考えを持った人だった。でも、最初はそれがものすごく頼もしいものに思えたのよね。だから私は、ああこの人とずっと続いてくんだなって漠然と思ってた。
「でも彼にとっては違ったの。頼ってくれる女の子が好きだった、ってことね。頼ってくれて、自分の言うことに何でも『そうね』って頷いてくれる女の子が欲しかっただけなのよ。だから私みたいに言葉を返す女っていうのはお気に召さなかったってこと」
 そう言って手の中に握っていた指輪を弄ぶ。これだって、三回生になった時にお祝いだって彼がくれたものだった。ホワイトデーのプレゼントに何が欲しいって言われて思わず口にしたのが、雑誌で見て以来欲しくて仕方がなかったこの指輪。そしたら彼は「もう少しだけ待って」って言って、春休み最後の日にこれをくれた。もらったその時は本当に嬉しくて、ずっと今日まではめてきたのに、さっきここへ上がって来る時にもう外してしまった。別に「返せ」って言われなかっただけいいのかもしれないけど。
「でも、あの。その指輪、さんに似合うと思いますよ」
 彼とのことは抜きにしても、と言って孫くんはそう言って笑った。なるほど、友達が反応してたわけがわかったわ。この人は、彼と正反対の――いわば、女の子を無意識のうちに喜ばせちゃうのがうまい人ってわけだ。
「でももう、はめたいとも思わないんだよね……そうだ! この指輪、孫くんにあげる」
「え? ええええ?」
「だってもう私いらないし、あってもせいぜい部屋の荷物の中に紛れちゃうだけだろうし、ね」
「でもこれ、高価なものなんじゃないですか?」
「いいのよ。いっても五万ゼニーくらいだしね」
「ご、五万ゼニー!?」
 値段を聞いたとたん、彼は目を白黒させてしまった。「僕なんてバイトで稼げても一万ゼニーほどなのに」なんて。……いったいどれほど低時給なバイトをしてるのかしら。
「いや、僕基本的にアルバイトってしてないんです。お母さんが勉強に励めっていうから」
「大学に入ってまで勉強? ってまあ、勉強するとこだけどさ」
「僕、小さい頃から学者になりたくて勉強してるんです。そのためにはやっぱり今の勉強じゃまだまだ足りないなあって」
 なるほど。どおりで飛び級してまで勉強に励んでるわけだ。私みたいに適当に大学入った人間とはそもそも目指すとこが違うわけね。
「でも学者ってどんな方向なの? ほら、地質学者とか、生物学者とか、歴史学者とかいろいろあるじゃない。あれ? そういや孫くんは学部どこだっけ?」
「僕は理学部なんですよ。理学部の生物学科で、やっぱり将来は植物学者になりたいなって。ほら、世の中にはまだまだ知られてない植物もたくさんあるじゃないですか。知られてる植物の中でも人間や地球への間接的な作用が発見されてない植物とか。それを見つけて、もっと人間を含めた動植物にとっても、そして地球にとっても優しい環境を作る一端を担えればなあなんて……あ、ちょっと長くなりすぎましたよね。えーっと」
「要するに『生物にも地球にも良い環境を作っていきたい』ってことね」
「最終的にはそうなりますね。でもまあ、そこら辺を実際にやってくれるのは環境学関係の人になるんですけど。僕はどちらかといえば、自然に囲まれているのが好きだから」
 あー。私が彼をいなかっぽいと思ったのはそこにあるわけだ。もしかして、本当に田舎の方の出身なのかしら。
「孫くんの実家って自然に囲まれたとこなの?」
「ええ。パオズ山って、ここから南西に300kmほど行ったとこにあるんですけど、そこに住んでます」
「へえ。そんなとこに……住んでます!?」
 私は一瞬我が耳を疑った。『両親が』住んでます、じゃないの? 「そこが実家です」じゃないの? だいたい300kmって時速100kmで飛ばしても三時間かかるのよ。しかもあくまで直線で、下道だったら最低1.5倍はかかるだろうし、高速でもかかる……っていうより、そもそも学校の周りの高速の入り口なんて、30kmくらい行かないとないし!
 もしかしたらこの人は田舎の大地主とかそんなんの家の子なのかもしれない。それで自家用ジェットとかで来てるのかもしれない。ああ、どおりでアルバイトしなくてもいいわけだわ。働かなくてもお金はありますってことね。
「いいなあ。孫くん、お金持ちの子なんだ」
「え? そんな、うちは貧乏ですよ」
「だって、ジェットか何かで学校来てるんでしょ?」
「ジェット? そんなもの持ってませんよ!」
 あら、おかしい。何だか会話がかみ合ってないわ。
「じゃあ、孫くんは何で学校まで来てるわけ?」
「そりゃぶ……い、いや。エアカーですよ。エアカーで送ってもらってるんです」
 ちょっと待った。今の「ぶ」って何よ。それにこの態度。いかにも何か隠してますって感じじゃない。
 じろりと疑わしげな視線を向けると、彼は明らかに動揺していた。ますますもって何か怪しい。
「あの、私これといって人のプライバシーのぞく趣味なんてものはないんだけど……。ちょっと、何か隠してない?」
 とたんに彼は顔を真っ赤にして手をぶんぶん振った……ように始めは見えたんだけど、どうなってるの。手が止まって見える。
「か、かかかか隠してるだなんてそんな! そんなことはない、ないですよ!」
 さらに上ずった声でどもりつつそんなことを言う。ほら、やっぱり隠してるじゃない。それのどこをどう見たら隠してないのよ。何だか、面白いくらい嘘つけない人種なんだなあ、なんて。
「ほらほら。はっきり言っちゃえばすっきりするよ」
「何だってそんなドラマの取調べみたいな……」
「取り調べてるのよ。そうよ、これは尋問よ。さっきの緑二人組のことも含めてとっとと吐き出しちゃいなさい!」
 最後の言葉に孫くんはぴくりと反応した。それからはあっとため息をついて、どうやら観念したみたい。
「ええ。あの……僕がこれから言うこと、一応本当のことだと思って聞いてくださいね。どう考えても嘘に聞こえるかもしれないけど、絶対に嘘なんかついてないんで……」
 そう言って孫くんはぽつりぽつりと白状し始めた。さっきの教祖&幹部のことを中心に、本当にぽつぽつと。それは彼の生い立ちや幼少から高校生にかけての長い人生秘話だったけど、それを聞いた時にようやく、私は彼が話し始める前に、なぜあれほど念を押したのかということを思い知ることとなる。
 だって信じられるわけないじゃない。何がって、彼の言う何もかもが、よ。

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