文字サイズ: 12px 14px 16px [January〜ヒミツのナメック〜]-03-

「それで、こんなとこにワープゾーンがあるわけ?」
「はい、ここを降りて……あっ、あの水色の扉です」
 神殿の階段を延々降り続けること数分、ちょうど螺旋階段に目が回ってきたところで、ようやく目的地が見えてきた。つまり、あそこの扉を開けるとそこはナメック星――まるで漫画みたいな話ね。
「ちょっと違うんですけど、まあ似たものでしょうか。そもそも、このワープゾーンはピッコロさんが界王様に掛け合って繋いでくれたんですよ。僕、ここに来て少し経ったくらいの頃、眠れなくて眠れなくて困ってたんです。ええと、地球では『ほーむしっく』って言うらしいんですけど」
「わかるわかる。私も一人暮らし始めて三ヶ月くらいでなったもん。ちょうど新しい生活に慣れた頃ね、寂しくて帰りたくて、そのことばっかり考えて眠れなかったの」
 私なんて電車で二時間で行けば会える距離なのになったのよ。前に聞いたけど、ナメック星ってすっごく遠いって言うじゃない。ナメック星人って人たちが今住んでる星だって、宇宙船で千何百年かかるって悟飯くんが言ってた。そんだけ離れて恋しくならない方がおかしいわよ。
「そうなんです。最初は僕も我慢してたんです。神の仕事もちゃんとできないのに帰っちゃ駄目だと思って。それを察したのかピッコロさんがですね、ある日突然大きな甕(かめ)を持ってきたんです。帰りたいなら一度帰って来いって」
「それでしばらく帰ったの」
 そう聞くと、デンデくんはすぐ首を横に振った。
「ううん、帰らなかったです。もうちょっと頑張ろうって。でもそれから寂しいっていうのはほとんどなくなりましたよ。ちゃんと眠れるようになりましたし。すぐに帰れると思うと気が楽になったというか」
 なーるほどねえ。これが神様になる人と一般人の違いだわ。私だったら速攻帰って数ヶ月間は戻ってこないもん。まあ、ホームシックなった時は金銭的な理由から――これが一番切ないわね――帰れなかったんだけど。
 でも待てよ。それならデンデくんはまだ一度も帰ってないわけ?
「いえ、数回行ったことはありますけど……ムーリ長老にちょっと意見を伺いたい時とか」
 真面目ねえ。何だか自分が恥ずかしくなってきちゃうわ。確かに今回もそういうものだしね。なんてその他いろいろナメック星に関する基礎知識をデンデくんから仕入れながら、ついに私はその夢の部屋へと踏み込んだ。
「って、これなに?」
「ワープゾーンです」
 ワープゾーンって言われても、どう見ても怪しい宗教儀式でもしそうにしか見えないんだけど。薄暗い部屋の中、五芒星が書いてあって、その頂点にそれぞれ背の高い蜀台、そしてゆらゆら揺らめくろうそくの炎。そして星の中心にはお世辞にも綺麗とはいえない大きな水がめ。ワープゾーンってより、怪しい薬作ってますの方がはるかに納得できる。
「ささ、急ぎましょう」
 そう言われて立てかけられたはしごを上り、水がめを覗き込んだところで、私は思わずごくっと唾を飲んでしまった。だって、水の色がまた深くて、底なんて見えないんだもの。これはいったいどこに繋がっているの? 飛び込んでも大丈夫なの? しかも、普通の水とちょっと匂いが違うような。強いて言えば、ちょっと草の匂いがするようなしないような。
さん、鼻がいいんですね。これ、ナメック星の水なんですよ」
「えっ、これが?」
「はい。こうしてワープゾーンを作る時は、互いの星の水を交換するんです。だから、あちらの甕には」
「地球の水が入ってるってわけね。でもそうだとしたら、水がない惑星の場合はどうするの?」
「その時は水に準ずる液体を入れるんです」
 僕も聞いただけですけど、と加えてデンデくんは説明してくれた。ということはよ、その星の「水に準ずる」液体が硫酸だったりすることだってあるわけよね。ううむ、意外に恐ろしいワープゾーン。そんなの飛び込んだら大やけどじゃない。怖い怖い。
「ナメック星の水はそんな怪我なんてしませんよ。ええと、前のナメック星と今のナメック星は非常によく似た環境で、水もほとんど変わらないんです」
「それが地球人にも大丈夫な物質なの?」
「はい。悟飯さんたちはそのまま飲んでました」
 違う。そこで聞きたいのは超弩級胃袋の持ち主悟飯くんじゃなくて、地球人平均の胃袋を持ってるであろうブルマさんの話よ。
「ブルマさんも飲んでましたよ。それどころか、スイドウスイっていうものよりおいしいって」
 よかった。安心した。じゃあ、私でも大丈夫じゃない。水道水よりおいしいなら今飲んでも大丈夫? あっ、やっぱりやめた。ここ、何だか埃臭いんだもの。ゴミが浮いてるかもしれないわ。つーか、見といて今更だけど服濡れるわね。ああ、普段着でよかった。いい服着てたら、残念だけど遠慮しちゃう。
「じゃ、ワープの仕方を教えますね」
「はいっ」
「体が完全に沈んだら上を見てください。水の上に丸い出口が見えるんです。ここの場合、見上げて左が地球、右がナメック星です。だから」
「ちょっと待って。水中で左右なんてわかるの?」
「いや、わからないんですけど、それは感覚で」
 そんなアバウトな。大丈夫なのかしら。
「大丈夫ですよ! じゃあ、僕が先に行きますからついてきてくださいね」
 言うなりデンデくんはどぼんと水がめの中に飛び込んだ。ちょちょちょ、ちょっと待ってー! 私を置いて行かないで!
 大急ぎで私もはしごを上りきって、もう一度中を見る。うーん。何度も思うけどやっぱり深い。これに飛び込むなんてなかなか勇気いるじゃない。でもこれも全てロード・トゥ・ナメック! がっちり決めないとね!
「せーの……っ」
 ぐっと体を持ち上げてそのまま、足から私は飛び込んだ。ヒヤッとした感触がしてすぐに景色が青に変わる。へえ、水がめの中ってこうなってるんだ。本当に何もない。サイズからしてあるはずの壁さえも。ただただふかーい青い世界が広がっているだけ。こんなところで迷子になったりしたら……あー、怖い怖い。そんなことは考えない。
 えーっと、デンデくんの言う通りなら見上げて右がナメック星、ってことはこっちね。確かにまるでぽんとくり抜いたみたいに、そこだけが白っぽく光ってる。うーん。まだまだ地球では明かされてない謎が多すぎるわ、宇宙は。こんな方法でワープできるなんて、悟飯くんでも知ってるかしら。――だけど。
「あ、あれ?」
 縁に手をかけて私は外へと顔を出した。でも。風景がちっとも変わってない。あの薄暗い、神殿の部屋とおんなじ。もしかして、ここすでにナメック星? やっぱり儀式みたいに同じような部屋にしないといけないのかしら。でもその割には誰の姿も見えない。そう、デンデくんさえも。
「デンデくん?」
 呼びかけてみてもやっぱり誰もいない。人の気配すらしない。
「デンデくーん」
 今度はある程度声を張り上げてみたけど反応なし。待てども待てども返事なし。いい加減足をばたばたさせてるのにも疲れて、縁にすがり付いて待ってみるもやっぱり。
「どうしよう。置いてかれちゃったのかな」
 私、飛び込むまでにちょっとかかったから。ぽつりと呟いてからううんと首を振る。あのデンデくんがそんなことするわけないじゃない。ピッコロさんなら百パーセントあるだろうけど。うん、あるある。ピッコロさんなら絶対そうする。それでやっと見つけ出したと思ったら、
「お前がちんたらしているからだ」
 って言うに決まってる。もう、ピッコロさんのことなんてまるっとお見通しだ!……って前何かのドラマであったような。まあね、こといじわるなとこに関してはね! 逆に悟飯くんにはわからないと思うけどね! ピッコロさんが構って構って構いまくって、ついでに庇いまくるかわいいかわいい弟子の悟飯くんにはね!
「って、恨み言言ってる場合じゃなかった……」
 ここから出ていいものか。これで、よいしょっと出て、あの扉開けた瞬間、怪しいヤツめ!って攻撃されたりしないかしら。ノーノー、私地球人デースって言って信じてもらえるかしら。ほら、もしかしたらその昔、ナメック星人は地球人そっくりのどっかの星の人と戦ったことがあるかもしれないじゃない。もし万が一よ、その星の人と私がそっくりだったりしたら、間違いなく攻撃されたりしちゃうんじゃないかしら。デンデくんは私が地球人だから友好的ってだけで、ナメックの皆さんがそうとは限らないじゃない。あら、想像しすぎ? ん?
 今、誰か突かなかった? 私のビューティフォーな脚を。気のせい?――じゃない。今また突かれた! だ、誰? 誰なの? まさか、この水の中には危険な生き物がいて、長時間浸かってたら襲いに来るとか。そんなオチ? ちょっと冗談じゃない。私はナメック星に行きたいだけなのに! どうしてこんなとこで命落とさなきゃ――。
――」
「ぎゃああああああああ!」
 自分でも信じられないくらい大声が出た、んだけどうっかり手が滑って! あ、あ、待って。入り口。ダメ、このまま沈んではダメ! でも手足をばたばたさせてもぜんぜん浮かべない。そう落ち着いて。まずはゆっくり深呼吸――って水の中でしたら死んじゃう。落ち着いて。とにかく上を見て。
 でも、向いてはいけなかったのよ、上を。ずっともがいているべきだったの。だって、上を見た瞬間見えた光景に私はぶっと空気を全部吐き出しちゃってそのまま。
「……死ぬかと思った」
 水がめの縁に再び掴まってどっとため息をつく。先ほどの部屋とは違って、窓からさんさんと日が差し込む部屋で私はようやくそう言った。
「大丈夫ですか」
 背中をなでなでしてくれるデンデくんの手、癒されるわ。でもまだ心臓が……。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんです」
「うん、わかってる」
さんいつまで経ってもこないし、もしかして迷ってるのかもと思って」
「うん」
「脚、突いたんですけど、気付きました?」
「気付いたんだけどビックリしちゃって」
 そりゃ脚突かれて、いきなり後ろから声かけられたら誰だって驚くわよ。しかもあんな心細い時に。私を神経の図太いピッコロさんと一緒にしないでよねっ。
「す、すみません。……あっ、とにかくここから出ましょう。こんな狭いとこにいるのも何ですから」
 そうね。狭い水がめの入り口に二人で押しくらまんじゅうしてる場合じゃないわよね。えーっと、はしごは?
「…………」
「……倒れちゃって、ますね」
 何があったのか、水がめに立てかけられてるはずのはしごは、床にぱったり倒れていた。ちょっとー。これじゃ私出られないじゃない。
「大丈夫ですよ、ほら」
 文句を言おうとした私に代わって、デンデくんがふと浮かび上がる。そうだ、その手があったんだわ。
 そうして無事、私はデンデくんに吊るされる形で水がめから脱出できた。ほんと。デンデくんがいなかったら、ここから二メートルほど決死のダイブをしなきゃいけなかったとこよ。それより、濡れた服が。
「あれ?」
「どうしました?」
 変なことに気付いて、私は髪を触ってみた。濡れて、ない。洋服も靴も。水に飛び込んだはずなのに、どっこも濡れてない。
「なんで? どうして濡れてないの?」
 水に浸かったら濡れることくらい、いつもピッコロさんにバカバカ言われる私でもわかってるわよ。何だっていきなりミステリー。
「ねえ、何で?」
 私はその答えをデンデくんに求めた。きっとデンデくんなら知ってる。そう信じて。でも甘かったわ。
「さあ。何ででしょうねえ」
 ダメだ。デンデくん自身、自分の服つまんで首傾げてる。もしかして私たち、至上稀に見る迷コンビなの。だんだん先が不安になってきたわ。ほら、デンデくんも服ひらひらさせてないで。
「今まで何回か来たことあるんでしょ? 気付かなかったの?」
「はあ。それがまったく。……まあ、そんなことはいいじゃないですか。行きましょう!」
 ちょっとちょっと。しっかりしてよ。そんなことに気付かないなんてダメじゃない! デンデくんって結構適当ね。ま、濡れなかったからラッキーってことで済ませていいのかしら。いいわよね。神様がいいって言ってるんだもんね。さあ、早くナメック星の皆さんに――。
 そこで私ははっと思い出した。何でこんな大事なこと忘れてたの。これのせいで私死にかけたのよ。それを明かすまでは迷走できないわ。
「さっ。早く!」
 何も知らずデンデくんはゴーサインを出してくる。ううん、ちょっと待って。その前に確かめることが。
「その。デンデくん。その前に確かめたいことが」
「何です? あっ、言葉なら大丈夫ですよ。みんな共通語話せますから」
 ううん。違うの。言葉はわからなくても、デンデくんが通訳してくれるだろうからいいと思ってたの。それより。
「その、ものすごく言いにくいんだけど」
「はい」
「その……。デンデくん、『パンツ』って知ってる?」
 私もね、聞くのはためらったの。私だって年頃の女の子だし、デンデくんだって男とか女はないけど年頃なんだろうし。そんな二人がね、パンツだの何だの言うべきじゃないのよ、本当は。もっと明るく楽しい話題をするべきなのよ。でも確かめなきゃいけないと思ったの。なのに。
「ぱんつ? 何ですそれ」
「ええっと。ズボンやスカートの下にはく下着でね、その。お尻を隠すための布なんだけど。もしパンツって名前じゃなくても、そういうのはいてる?」
 だって、見間違いであってほしかったの。あの時、上を向いた瞬間見えたのが、ひらひら水に揺れる上着の裾と……その、お尻だなんて。でもね。デンデくんってば思いっきり首を振って。
「はいてませんよ、そんなもの」
 ほら、とあろうことか裾を。裾をまくり上げて、その、お尻をーッ!
「だっ……ダメじゃない、ダメじゃない! そんな簡単に人にお尻見せちゃ!」
 もう自分でも何言ってるのかわかんなかった。今までにないくらい速く動いたと思う。はっきり言って、気付いた時にはもうデンデくんがまくってたはずの裾を掴んでた。でも手が動かないの! 動揺しすぎて、裾を下ろそうとしても手が動かないの!
 どうしよう、どうしたらいいの! 動け、私の腕動け! そう念じても動かず、驚いてるデンデくんの顔見たまま、何か言おうと口を開いたその時、どたどたっと足音が聞こえて――次の瞬間、ぶーっとすごい音がした。何だかわからないけど、振り向いた私の顔に何かがかかったの。
 最初は、これはナメック式の歓迎の儀じゃないかって思った。でもやっぱり、初対面の人間でもわかるのよね。それが「普通にやった」ことなのか「うっかりやっちゃった」ことなのか。右手にコップ持って入ってきたナメック星人とおぼしきおじさんのお顔は完全に後者だった。そう。私、おじさんの、よりによって口から出た水をもろに浴びちゃったのよ。かっこいいお兄さんならともかくおじさんの。
 ねえ、もしかして今日って水難の相ありなの?

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