文字サイズ: 12px 14px 16px [July〜長い休みの始まりは〜]-01-

 お、終わったー! 叫びだしそうになるのを堪えて、だけど心の中ではガッツポーズ連発。地獄のテスト期間が終わって、ようやく待ちに待った夏休み。計画は適当にしか立ててないけど、これから約二ヶ月間、私は大学というものから解放されるんだわ。
 思い返せばこの二週間。アルバイトをしつつ、試験勉強をしつつ。本当に辛い日々だったわ。そりゃもう三回だから慣れてはきてるんだけど、やっぱり大学のテストってわけわかんないの多いのよね。「人間が感覚として感じる『正義』と『悪』について自分の考えを述べよ」とか言われても、小さい頃に見てた特撮ヒーローくらいしか思い浮かばないじゃない。そんなもの、常日頃から「これは正義」だの「これは悪」だの考えて生きてるわけじゃないんだから。まあ、これも自分の学科のせいってことにして。
「悟飯くーん!」
 見つけた姿にぶんぶん手を振ると、彼もまた気付いて駆けてきた。うーん。何でそんなに無駄に爽やかなのかしら。
「試験どうでした?」
 開口一番それですか。今はもう忘れたい。
「悟飯くんこそどうだったの? もしかしてまた満点狙い?」
「そんな風にはいきませんよ。僕だってまだ勉強は足りないんですから……」
 照れてそんなこと言ってるけど、私は知ってる。悟飯くんが去年、前期後期合わせて試験結果が半数近く満点だったこと。もちろん、成績は軒並み揃って『優』。私からしたら神業の領域よ。ああ、彼の頭の中には何が詰まってるのかしら。きっと私とは全然違うものに違いない。
「そんなことよりほら!」
 そう言って悟飯くんが突き出してきたのは、カプセルが一つ。これは、何が入ってるの?
「お母さんが作ってくれたんです。さん、こないだうちに来た時、お母さんの唐揚げがおいしいって絶賛してたでしょ。お母さん、それがものすごく嬉しかったらしくて『さのためなら、唐揚げくらい何キロでも作ってやるだ!』って張り切っちゃって」
 まさか、この中にそんなに大量の唐揚げが詰まってるのかしら。確かにあの唐揚げはすごくおいしかったけど、さすがに何キロも食べられません。いくら悟飯くんが大食漢だとしても、そんなに大量の弁当を果たして二人で片付けられるのかしら。
「どうかしました?」
「いや、全部食べきれるかなって……」
 上目遣いにそういうと、悟飯くんはにっこり笑って「これくらい大丈夫ですよ」と返してくれたけど。果たしてその言葉を信じていいのやら。
 いったい全体、何がどうなってこういう状況になったのかというと、話はざっと一週間前までさかのぼる。ちょうど試験中だった先週の木曜日、悟飯くんから「試験が終わったら、ピクニックにでも行きませんか」とお誘いがあった。ピクニックとは言ってもそんなに遠くに行くわけじゃなし、せっかく夏になり晴れてきたのだから、いつもの裏山でお弁当を広げて森林浴でもしようということだったんだけど、それじゃあ弁当はどうするの、私はそんな大量の料理なんて作れないわよ、と言ったところ、悟飯くん自ら用意してくれるということになったのね。だから私はてっきり悟飯くん自ら腕をふるってくれるのかと思ったら――やっぱり、腕をふるったのはおばさんだったってわけね。
「だけどおばさんにも迷惑かけちゃったよね」
「そんなことないですよ」
「そんなことないって……。だって作ったの、おばさんでしょ。悟飯くんのお弁当だけでも大変なのに、私の分まで作ってもらっちゃって何だか悪いなあ」
「大丈夫ですって。僕いつもこれくらい持ってきてるじゃないですか」
 これくらい、と言われても今カプセルの中にいったいどれほどの量が入っているのかはわからないわけで。いや、実際悟飯くんと初めて一緒にお昼を食べた時には、思わず自分の持っていたコンビニ袋を落としてしまうほど驚いたんだけど。
 悟飯くんのお弁当の何がすごかったって、その量とおかずの種類だった。まず、カプセルから取り出したお弁当箱がどう見ても重箱。しかも三段重。三段って言ったら、うちの実家で食べるおせち料理と同じなのよ。それをうちは家族三人で一日かけて食べるのに対し、悟飯くんは一人で、しかも一食で片付けてしまう。
 そして次にその中身。色とりどり、種類も豊富なおかずが一段目、二段目にところ狭しと詰め込まれ、一番下の段にはこれまたみっちりとご飯が詰め込まれていた。
 そんな『お弁当』の常識を超えたお弁当を、毎日毎日、悟飯くんは満足そうに、一つのお残しもなく平らげてしまう。それだというのに夕方になったら「おなかすきましたね」と恐ろしいことを言う。ああ、何度幻聴だと思ったことか。しかし何よりすごい……というより羨ましいと思うのは、それだけの量をおなかに収めてもまったく太らないその肉体なのよねえ。毎日想像できないほど高カロリーを摂取しているはずなのに、頭のてっぺんからつま先まで見ても、どこにも余分なお肉がついてる様子はない。それが全身を覆う鉄板のような筋肉の成せる業なのか、それともサイヤ人という宇宙人パワーが作用しているのかはわからないけど、とにかく羨ましいことに代わりはないわ。私なんて、この一ヶ月で1kg近く増えてしまって、どうやって落とそうか考えてるとこだっていうのに。
 うん。こうなったら悟飯くんにもちょっと付き合ってもらうしかない。
「ねえ、悟飯くん。今日はちょっと歩いて登らない?」
「歩いて、ですか?」
「そう。試験でずっと部屋閉じこもってたから、久しぶりに体動かそうと思って」
 もちろん体重増加のことは言わずにそう持ちかけると、悟飯くんはさてどうしたものかと空を見上げて。
「いいですよ」と一言くれた。もしかして勘ぐられたかと思ったけど、そんな様子もないわね。よし、こうなったらとことんダイエットにお付き合い願うわよ!

* * *

 おでこからじんわりとにじむ汗を拭きながら歩き続けること四十分。この数ヶ月で歩き慣れた山道をどんどん上がって、目の前に頂上の景色が広がって思わずほっと息をつく。正直、あんな提案するんじゃなかったなってちょっと思ってたりして。ほんの数週間登ってこないだけで、こんなに疲れるものなのかしら。いや、きっとこれは増えてしまった1kg分の呪いなんだ。そうよ。きっとこれが落ちたらもっと楽々と登ってこれるはず。
「ようやく頂上ですね」
 同じように汗を拭きながら悟飯くんが言う。だけど私と違ってまったく息は乱れてない。さすがというか何というか。やっぱり帰りは担いでもらっていいかしら。
 頂上は以前来た時とはがらりと変わっていた。梅雨が明けて夏が来て、ここ数週間ほど来てないだけでこんだけ変わるもんなの?と聞いてみたいけど、聞かなくても今自分の目で確かめてるんだから間違いない。あの春の日、満開だった花はすくすく成長して、緑の草が今や私のくるぶしを完全に覆い隠してしまうほど伸びている。びっしりと生えた草は踏むたびにふかふかしてるし、なんて気持ちいい感じ。思わずスキップしてしまいそう。そう、こんな風に――。
 何か、踏んだ。そしてフラッシュバック。そういえばあの時もこうやって誰かさんを踏んづけて、あわや人生の終わりというとこまで行ったのよね。ただその時と違うのは、その場で固まってしまった私の足首を軽々と掴んでらっしゃるこの馬鹿でかい手があるってこと。
「お前も懲りん奴だな」
 懲りてます。ものすごく反省してます。だから許して。
さん……」
 悟飯くんもそんな憐れむような声出さないで。助けてくださいお願いします。
 ああ、だけど。私の願いを神様が、いやデンデくんが聞き届けてくれたのか、生命存続の危機パートIIとはならず。へなへなと座り込んでしまった私の後ろ、がさりと音を立ててピッコロさんが起き上がったもんだから、思わず振り向いて許しを請ううさぎのような瞳を演じてみる。
「わかったからそんな目で見るな」
 やったー! 大成功! 主演女優賞は私で決まりね。だけど、一通り喜んだあとではた、と我に返った。どうしてピッコロさんは寝転んでたのかしら。そう、それよね。いつもプカプカ浮いてるくせに、どうしてこうもバッドタイミングで草むらに寝転んでくれちゃってるんだろう。
「また空を見てたんですか?」
「ああ」
 そんな会話を耳にして、目で二人に問いかけると、悟飯くんは相変わらずニコニコ、ピッコロさんはといえば、プイッと横を向いてしまった。なに、何があるの。すごく気になる。
「ねえ、空に何かあるの?」
「あ、それはですね――」
「別に言わんでいい」
 ぴしゃりと遮るようなピッコロさんの一言に、口を開いてた悟飯くんも黙ってしまった。あら、もしかして聞いちゃいけないことだった?
「そんなことよりさっさとメシにしたらどうだ」
 ピッコロさんがそう言って、そのままその話は終わり。よほど話したくないことなのかしら。そう思って空を見上げてみるけど、どうってことはないごくごく普通の空模様。何か見えるわけでもなければ、何かが降ってくるような気配もない。本当に何だっていうの。
さん、そっち持ってください」
「あ、はいはい」
 目の前でばっと開かれたシートの端を持って広げながら、ちらりと視線を横に逸らす。足を組んで浮いてるピッコロさんは、さっきまでのような不機嫌さはもうなくて、いつものように別に関心もないと言った顔で、だけどしっかりと空を見上げていた。

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