文字サイズ: 12px 14px 16px [June〜降り続ける雨の中で〜]-04-

「と、そんなとこなんです」
 問い詰めて問い詰めて、これでもかってくらい言葉を並べて、ようやく理由を聞き出したっていうのに、この頭を占める勢いで感じる馬鹿らしさは何。そりゃ、人様から物もらってお礼を言うって当たり前のことだけど。だけどね、それだけのためにこんなとこ連れて来られて、挙句野犬に襲われたってんじゃ、私としては割りに合わないわけよ。私、孫くんのことはものすごくよく気の利くいい人だと思ってるけど、さすがにこの時は二、三発殴り倒したくなった。
「ここね、無人島なんです。だからちょうどいいかなって思って……」
 ええい。言い訳するなら目を見て言いなさい。
 結局その日はそのまま家まで戻してもらった。孫くんも私が怒っているのはわかってるみたいで、早々に「帰りましょう」と言ってくれたし。帰りはほとんど会話らしい会話もなかったと思う。別れる直前「ごめんなさい」って小さな声で呟いて孫くんはさっさと行ってしまって、私はまだ部屋の中で降り続ける雨を見続けて。
 窓の外を雨は線を引きながら落ちていく。それをソファの背にもたれかかって一筋、二筋と見ているうちに自分がなぜあんなにも怒ったのかすらわからなくなっていく。
 孫くんのやったことはおせっかいだったけど、意味がなかったわけじゃない。そもそも原因は私とピッコロの険悪な関係にあったわけで、孫くんはきっとその板ばさみでいろいろ心を悩ませたんだろう。ピッコロの名前を聞くたびに私がそっけなくしたのも悪かった。話が出るたびに「そう」と適当な返事をしたり、別の話に持っていこうとしたり。もし仮に私に尊敬する人がいたとして、その人の話をするたびに他人からそっけない態度を取られたら――私だったら腹を立ててしまうけど、孫くんは「どうしてだろう」って考えたのかもしれない。趣味も違う、行動範囲も違う、日々の生活からそれこそ大学に行ってる理由だって違う。何から何まで違うそんな人間との数少ない共通の話題なんだ、あの人の師匠の話っていうのは。最初に秘密を半ば無理やり聞きだしたのは私だけど、その時点で私はすでに孫くんの持っている『秘密』を共有している人間になってしまっていた。だからこそ、こんなにも違う種類の人間なのに親しくしてた?
「孫くんは何であいつがそんなに好きなのかな」
 四歳の時にいきなり荒野に置き去りにされたって話してた。疑問を解こうと思っても、私の感情とは相容れられない。私の思う『普通』に照らし合わせてみたら、恐怖とか憎悪だとかそんな感情しか浮かんでこない。だけど、孫くんはピッコロのことが好きだって言ってた。尊敬してるんだって言ってた。
 あいつにそこまで思われる何があるのかしら。……あんな奴に。そりゃ、今日見たのはどこか違った風だったけど、あれだって私が弱気になってたからそう感じただけかもしれない。
 ううん。そんなことより今は孫くんに謝らなきゃいけない。感情に任せてひどいことを言ってしまったこと、勝手に腹を立ててしまったこと。
 思いついたら即行動。私は携帯を取り出した。コールが続いて気付かないかな、それとも孫くんも腹を立ててるんだろうか、とそんなことが頭を過ぎった時、慌てたように「もしもし」と電話の向こうから声が聞こえた。
「孫くん……ってあれ?」
さんでしょ! 久しぶり〜。悟天だよ」
 ん? 何で孫くんの携帯に悟天くんが出るのかしら。もしかして、貧乏ゆえに電話まで共有してるとか?
「兄ちゃん、今お風呂入ってるんだ」
「そうなの。それならまた後で……」
「あ、ちょっと待って」
 言うなり悟天くんは電話から離れたらしい。だけど、彼の大きな声は筒抜け。それより後ろの声はおばさんかな? 「ちょっと寄越すだ!」ってすごい勢いなんですけど。もしかして「うちの悟飯とどういう関係だ!」とか問い詰められるんじゃないでしょうね。それだけは勘弁。
 だけどそれは少々的外れな予想だったみたい。
「もしもし、さだか?」そう切り出されて返事をする間もなく次の瞬間。
「もうッ、うちの悟飯ちゃんがすまねえことしただ。本当にもう……許してけれ。あの子だって悪気があったわけじゃねえだよ。だからもうこの通り……」
「あ、あの」
「どうかしただか?」
「いや、そちらこそ」
 浮かんだ疑問を口にした私におばさんは根絶丁寧に予想通りのことを説明してくれた。何でも孫くん、家に帰ってきてから驚くほど元気がなかったらしい。
「表面では笑っててもなあ、やっぱり親にはわかるもんだべ」
 夕飯の後で家族会議をした結果、今日あったことを洗いざらいしゃべった孫くんに対して、おばさんは怒ることはせずとも、こっちのことが気にかかってたと言う。すでに孫くんや悟天くんからの話で私の名前は孫家では有名になっていたようで、おばさんにとっても「息子の友達」というレベルにまでなっていた私がえらく腹を立てたということは、ある意味人間関係における重要な問題と捉えられたようだ。……何か、ここの家族は何に取り組むにも全力なのね。
 私が「気にしないでください」と言っても、おばさんは何度も何度も謝ってきていて、終いには今度お見舞いにと言うのを慌てて断った。ただ、引っかかることが一つ。
「ピッコロさもなあ、見た目はアレだけど、思ったほど悪いもんでもないだよ。オラも気付くまでには時間かかったけど、付き合ってみたらそうでねえってわかるだ。だから、そんなに嫌ってくれないでけろ」
 えーっと。おばさんはピッコロの保護者だったのかしら。確かピッコロは卵から生まれてずっと一人、孫くんの家にいたのはたった三年間でその後はずっと神殿に住んでるんじゃなかったっけ。
「お母さん、兄ちゃん上がってきたよ」
「え? 悟飯ちゃーん! さから電話だべ!」
 突然電話の向こうでそんな会話が聞こえて、その話はお終いになった。続けてばたばたと走ってくる足音と「せめてバスタオルだけでも巻いてけろ!」っておばさんの叫び声と悟天くんのとてもじゃないけど再現できないとんでもない言葉と。なんてアットホームに過ぎる家庭かしら。
「も、もしもし!」
「ごめんね。何だか大変なことになってるみたいで」
 私はあくまで孫くんが帰宅してからのことについてそう言って、対して孫くんは「ちょっと慌ててたもので……」ととんちんかんな答えを返してくれた。違う。タオルを巻いてなかったことは問題じゃない。
「私、孫くんにいろいろひどいことしちゃったな、と思って。ごめんね」
「え? 何がです?」
「だから今日さ、いろいろあって私、ものすごく機嫌悪かったでしょ。でも、孫くんが悪いわけじゃないのにって家帰ってから思って。それで……」
「いえ、悪いのは僕です」
 孫くんはそう言い切った。何よ、強情ねえ。私が悪くないって言ってるんだから悪くないのよ。
「本当にすみませんでした……」
 しょんぼりとそう言った電話の向こうの姿が想像できて、私はこんな時だというのに思わず噴出しそうになった。
「気にすることないよ。孫くんもよかれと思ってやったんでしょ。それはわかるから。それに――私もちょっと頑固すぎたのね。あんな奴、気が合うわけないって頭から決め付けて、またアイツがとんでもない反応してくれるもんだから、つい頭に来ちゃって。でも私、頑張ってみるよ」
 頑張る? 何を? つい流れのまま口をついて出て来ちゃったけど、いったい何を頑張るつもりなのかしら、私。
 だけど答えはすぐに見つかった。導いてくれたのは他でもない、さっきのおばさんの一言だ。
「その、おばさんも悪い奴じゃないって言ってたし」
「え? ええ?」
「だから、おばさんが『ピッコロも思ってるほど悪い奴じゃない』って言ってたから、私もそれを信じてみようかなって」
 とたんに孫くんは黙ってしまった。えっと、何かおかしいこと言ったかしら、と考えた矢先「本当ですか?」と孫くんの声が聞こえて慌てて返事をする。
「本当に、本当なんですよね?」
「そ、そのつもりだけど」
「ピッコロさんのこと、嫌いだとか金輪際付き合いたくないとか、そんなことないですよね?」
「た、たまにはそう思っちゃうかもしれないけど……まあ、何事も前向きに行った方がいいじゃない。約束するわ。仲良くなれるよう努力する」
 私がそう言うなり、孫くんはわーッともぎゃーッともつかない悲鳴を上げて――走り去ってしまったみたい。ちょっと! まだ電話は繋がったままよ!
「ちょ、ちょっと! もしもし? もしもし!」
「兄ちゃん、部屋に行っちゃったよ」
 今度、ぎゃあと叫んだのは私の方だった。何でいきなり悟天くん。
「薄情すぎるわ。まだ電話切れてないのに」
「兄ちゃん、ピッコロさんが一番だから仕方ないよ」
 それで「カ・イ・ケ・ツ!」ってなるような問題じゃない。
「まったく、孫くんてば二言目にはピッコロピッコロって。困った人よね」
 求めた同意に対して、悟天くんは「はは……」と笑って、それよりと続ける。
「何でさんは兄ちゃんのことを『孫くん』って呼ぶの?」
 は? 何で孫くんって呼ぶのって、孫くんは孫くんなんだからしょうがないじゃない。「ちょっとそこのサイヤ人」とか呼べばいいわけ?
「でも僕のことは名前で呼ぶよね。それで、お母さんがそんなに他人行儀にしなくてもって言ってたよ」
「他人行儀も何も、他人じゃない。そもそも悟天くんを名前で呼ぶのは孫くんと区別つけるためであって……」
さ、そんなに遠慮せんでええだよ。悟飯ちゃんのことは悟飯ちゃんって呼べばいいだ。もうさは家族のようなもんだべ」
 いつの間にそんなにグレードアップしてんの。それよりおばさん、どこで話聞いてたの。
「悟飯ちゃん、学校とピッコロさの話はよくしてくれるだども、友達の話はあんまりなくて正直ちょっと心配してただ。それがさに会ってからは、毎日さがさがって、さのこと面白おかしく話してくれるだ。もう、さが他人とは思えなくてなあ……」
 ちょっと待って。『面白おかしく』ってどういう風に話してるの。もしかして私、孫家の夕食で笑いネタにされてるんじゃないの。いや、私はそんなにおかしいことはしてないわ。孫くんの前でだって、別に変なこととか、笑いを取れるようなことはしてないはず。お下品ネタだって、引かれるかもしれないから話してない。うん、大丈夫。孫くんの前では素敵な上級生を演じてるはずだわ。
さがピッコロさ踏んづけたって聞いた時からもうおかしかっただが、レポート忘れて慌てて教授先生のとこに茶菓子持って謝りに行ってたとか、挙句の果てに……」
 最後まで言わずついにおばさんは笑い出してしまった。逆に私は嫌な汗が背中を伝う。これはもしかしなくても、孫家に私の行動は筒抜けになってるんじゃ。つまりそれは、私の演じてたことはまるっきり通用してなかったってことで。
「ああ、すまねえ。これからも悟飯ちゃんのことよろしくしてやってけれ。あ、そうだ。今度さもうちに遊びに来たらええ。オラ、腕によりをかけてうまいもん作って待ってるだ」
「は、はあ」
「それじゃあ、失礼しますだ」
「し、失礼します」
 最後にそう言って電話はぷつりと切れた。いったい何だったんだろう。孫くんに電話をかけたはずなのに、おばさんとしゃべってた方が長かったような気がする。
「それより孫くんはどこへ……」
 部屋に行って何をしてるんだろう。そんな疑問が浮かんだけど、それは翌日明かされることとなる。

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