文字サイズ: 12px 14px 16px [June〜降り続ける雨の中で〜]-05-

「あの後、慌てて神殿に行ってですね、ピッコロさんに報告してきたんです」
 もしやと思ってたけどやっぱり。悟天くんの言ってた意味がようやくわかったわ。ピッコロ第一主義っていうのはそういうのもあったのね。
「僕としてもやっぱり、ピッコロさんとさんが仲悪いのは気になってたんです。だけど、さんピッコロさんにプレゼント選んでくれたでしょう? それがやっぱりピッコロさんの心にも残ってたらしくて。そんなことぼやいてたんですけど、僕はチャンスだと思ったんです。まあ、ああなってしまったのは本当に申し訳なかったですけど……」
 それで、ピッコロと私を和解させるために、無人島。どこからその考えが出てくるの。だって、無人島。
「ピッコロさんも言ってましたよ、『そんなに悪い奴でもなさそうだ』って。ただ、ちょっとばかり気が短いって――」
 「気が短い」? 自分のことを棚に上げて「気が短い」?
「あ、あの。さん?」
 のぞきこんできた孫くんの顔がとたんにはっとなる。ようやく自分が余計なことまで言ったことに気付いたってわけね。
「あ、あのその。あの気が短いってピッコロさんもきっと思わず言ってしまっただけで、きっと本心じゃないと……」
 「きっと」って、それは全て孫くんの想像の域を出ないもんじゃない。いいえ、アイツはきっと本心で言ってるわ。自分のことを棚に上げて!
 よし、決まった。今度会った時に問い詰めてやるわ。根を上げるまで問い詰めてやる。そう心に誓った私に運命の女神は微笑んだのか、チャンスは思ったよりも早く――というより、その日の午後やってきた。梅雨の中日、晴れてはいてもその代わり、少しじっとりとした感触に、家に帰ったらそろそろ扇風機でも出そうと考えていたけど、三限の終わりに孫くんから入ってきたメールは、それをまるで阻止するかのように「学校終わったら裏山に行きましょう」というなぜかハートマーク付きのものだった。
 待ち合わせ場所にやってきた孫くんはなぜか、アウトドア大好きな友達から借りたと言うレジャーシートを抱えていて、いったいそれが何の役に立つのという疑問を飲み込みつつ、私はシートと同じように小脇に抱えられて裏山へと向かった。
「ピッコロさーん!」
 ん? ピッコロ?
「ちょっと手伝ってください」
 そう言って孫くんがシートをぶんぶん振り回して、その下からすうーっと上がってきたその姿は。
「何だ、それは」
「これ敷こうと思って」
 言われたとたん、ピッコロは素直にシートの端を持つと勢いよく広げた。ふわりと舞い上がったもう片方を孫くんが掴んでそのまま地面に敷いて、その上にどさりと降ろされる。
「これならさんのお洋服も汚れないでしょ」
 なるほど。雨が上がってるとは言え、山の地面はまだぐちゃぐちゃだもんね。さすが孫くん、気が利く――。
「そんなもの、地面に腰を下ろさなければいいだけだろう」
 あんた、私にずっと立ってろっての。それとも、そうやってふよふよ浮けっての。いきなりそんな人間離れした技を一般人の私に推奨されても困る。
「まあまあ、ピッコロさんも腰を下ろしてください」
 その言葉と共に腰を下ろした孫くんの横、ピッコロもまたすすす、と降りてきた。本当にこの人、孫くんの言うことなら素直に聞くのね。じっとそのさまを見ていると、ピッコロも気付いたのか、視線を寄越してきて、慌てて目を逸らしたけど、その直後、二人揃って見事にハモってしまった。しかも「お茶?」と。
「ええ。昨日はいろいろあってあんまり話もできなかったでしょう? だから、今度はここでお茶でもしながらお話したらどうかなって思ったんです」
「な……」
「何言ってやがる!」
 ……なんでピッコロは私より先に、私の言いたいことを言ってくれやがるのかしら。あら、口調が移ったわ。
「悟飯、お前はそんなことのためにわざわざオレを呼び出したのか?」
「ええ、そうです。ほら、ピッコロさんもようやくさんに理解を示してくれましたし、さんだって『仲良くするため努力してみる』って言ってくれましたし」
 言ったけど、それは長い、ながーい時間をかけて、ね。
「僕は、二人が仲悪いままでいるのは嫌なんです。だからこうやって」馬鹿でかいかばんから魔法瓶とペットボトルを取り出しつつ。「二人のためにまた話し合いの場所を作ったんです」
 だからやってくれますよね、と無言の圧力を感じる。いつもの笑顔が今日はやたら怖いわ。
「こっちはピッコロさん用のお水、こっちはさん用のミルクティー。さ、僕は頃合を見計らって迎えに来ますから、それまで心行くまで二人でしゃべってくださいね!」
 最後の方はすでに孫くんは浮かび上がりながら言っていた。あの、こんな危険な奴と山の中に二人きり? それはないわよ。
 だけど私の心の声も届かず、孫くんはさっさと飛んで行ってしまった。ああ、やっぱりあなたは薄情者よ。か弱い乙女を置き去りにするなんて。
 それよりピッコロよね。きっと何も言わずに飛び立ってくれるはず。そう、信じてるわ。そしたら私はメールして「ピッコロは逃げました」って孫くんにお知らせして迎えに来てもらうから。
「悟飯の好意を無碍にはできんな」
 え? 今何かおっしゃいまして、大魔王さま?
 ふと視線を空から元に戻せば、ピッコロは受け取ったペットボトルをまじまじと見つめていた。ああ、そういうことね。この話し合いの場のことじゃなくて、そのペットボトルが『好意』なのね。大好きな孫くんのくれたお水だから、きっと極上の味がするんでございましょうね。
 そこで私も受け取った魔法瓶を開けてみる。てっぺんのボタンを軽く押すと、とたんに広がるいい香り。カップに注ぐとふわっとそれが広がって、これだけでちょっといい気分。どこで作ってきたのかって疑問はこの際置いといて、一口飲んでみれば、ほどよい甘さとミルク加減が口の中に広がる。うーん、幸せ。
 あら。そういえば、ピッコロは水でいいって聞いたけど、他の飲み物はどうなの。お茶は嫌いなの。
「どうした」
「いや、ピッコロ……さんはお茶嫌いなの?」
 おおう。間近で見ると、思わず「さん」付けせずにはいられないほどの鋭い眼光で。こないだ見た優しい目はやっぱり幻だったのね。
 しかし、その問いにピッコロはフンと鼻を鳴らして、「オレは水しか飲まん」とお答えくださった。そしたらもちろんこう思うじゃない。
「それって正真正銘水しか必要ないってこと? それとも、ただ単にお茶が嫌いなだけ?」
「違う。オレたちナメック星人は水以外は何も口にはしないんだ」
「あ、そうなの」
 えーっと。会話、終わり? キャッチボールなんて到底不可能。押し黙ってしまったまま、仕方がないのでずずっと紅茶をすする。だけど前も思ったけど、水しかいらないって経済的よねえ。ナメック星にはお金なんてものはないのかもしれないわね。だって、主食が水だけならそこら辺にあるだろうし、あと必要なものは物々交換で終わりそうだし。そうだとしたらあまり争いごともなさそう。だのに、何でこんな凶暴なのが……って、そういやピッコロは地球産だったっけ。
「そ、そしたら。お茶を飲んだらどうなるの?」
「知らん」
 私が必死になってひねり出した質問はたった一言で片付けられてしまった。これは大ピンチ。
「飲んで……みる?」
「いらん」
 ……いい加減にしなさい。あんたは「知らん」とか「いらん」とか、会話をぶった切ることしか言えないの。こう、返そうって気はないの。
「ほら、そんなこと言わずに。一度飲んでみるといい経験に……」
 いったい私は何を言ってるの。紅茶を飲むことが何の経験になるというの。自分でもわけわかんないまま、中途半端に差し出した手を見て、ピッコロはふっと息をついた。
「デンデがまだ地球に来てすぐの頃、勧められて紅茶を飲んだんだが、『苦い』と言って慌てて吐き出していた」
「苦い?」
「それで今度は砂糖を入れてみたんだが、今度は『甘さで口が痺れた』と言ってな」
「痺れるほど甘いって、いったいどんだけ入れたのよ」
「匙に半分程度だ」
 半分程度? それってかるーく甘いだけじゃない。
「ナメック星人はどうやら、地球人に比べて格段に味覚がいいらしい。その証拠に」
 そう言ってピッコロはペットボトルを差し出してきた。それがコップをあけろということに気付いて、中の紅茶を飲み干して差し出すと、コポコポと音を立てて水が注がれていく。口にしてみると、ごくごく普通の水の味。
「どんな味がする」
「どんな味って……水、でしょ」
「甘いや辛いというのはないだろう」
 そんな味はさっぱりしないけど。しいて言えば、水道水よりもちょっとさらっとしてるかな、って程度で。
「オレにはこれくらい塩辛いのがちょうどいいんだ。これ以上になると、さすがに飲めん」
「塩辛い? じゃあ、海の水って飲んだことある?」
「ああ。あれはとてもじゃないが飲むようなものではないな。一度飲んだことがあるが、その場で吐き出してやった」
 そりゃそうでしょうよ。人間が口にして塩辛いもんなんて、ナメック星人にとっては劇薬に近いかもしれない。これでまた一つ、ナメック星人の生態解明に近付いたってわけね。あの紫色の舌は、予想をはるかに超えて敏感なわけだ。
 あら? 何で私、ナメック星人の生態なんて追究してるの。だけど、そんな疑問は置いといて、私はちょっとだけあったかい気持ちになってきた。紅茶がよかったのかもしれないわね。こうやってピッコロとしゃべったのなんて、昨日が初めてだもの。そうだ、こうやって普通にしゃべってる時はせめてピッコロ『さん』って呼んであげよう。今決めた。
 そうだと決めたら、ふと頭に思いついたことがあった。ええい、今のうちに言っておこう。
「いきなりだけど、誕生日おめでとう」
 口にした単語にピッコロ……さんは目を見開いたまま固まってしまった。あの、何か反応をもらわないと切ないんだけど。
「ほら、神殿に行った時には言ってなかったでしょ。一ヶ月半ほど遅れたけど……プレゼントあげただけで肝心なこと言ってなかったらやっぱり気持ち悪いじゃない」
 とってつけたように理由をつけると、ようやくはっとなり、「ああ」と小さく呟く。うん、まあ伝わったことは伝わったみたいね。逆にいきなり「ありがとーう!」って言われたら、きっと私が引いちゃう。
 本当は他にも文句とかいっぱい言いたかったけど。今までに感じた苛立ちとか腹立たしさとかぶつけてやろうと思ってたけど、拍子抜けしたようなピッコロさんの顔見てたら、もう何も言う気なくなっちゃった。……この人は、逆にこんな状況にとことん弱いんじゃないか、なんて考えまで浮かんでくる――とその時。
 ガサッと草を分ける音が聞こえて思わず二人揃ってその方向を見る。ちょっと、また野犬とかその類なんじゃないでしょうね。連日そんなものに襲われるって、どうなってるの私の人生。
「あ、あのピッコロさん……」
 思わず彼のズボンを掴んでしまった私とは反対に、ピッコロさんはふと口の端を歪めて笑った。
「どうやら心配で見ていたらしい」
 誰が? 何を心配して? おそるおそるピッコロさんの背中越しにのぞくと、うっそうと茂った木々の手前、背の高い草が密集している中に、まるで擬態でもしてるかのように隠れてる頭。もしや、そのちょっとツンツンした髪の毛は。
「気を消してはいるが、姿が見えていたのでは意味もないだろうに」
「でも、きっと本人はめちゃくちゃうまく隠れてる気なんだよ」
 そっとしといてあげようよ、と笑いながら言って、私は元の位置に戻る。それからもう一回、コップに紅茶を注いで一口。
 ふと空を見上げると、ざわりと風が吹き抜けた。空は晴れ、日が少し傾いて湿っぽさも消え、心はとても穏やかで。ぐっと一つ深呼吸すると、体の隅々まで爽やかな空気が満たされていく。
 そろそろ夏も近い。

|| THE END ||
July〜長い休みの始まりは〜