文字サイズ: 12px 14px 16px [真夜中の青空]-04-

 悟飯もどきは手に持った俺の携帯をじろじろ見て案の定不思議そうな顔をした。裏返したり振ってみたりと、かなり興味津々の様子だ。
「これ、携帯なの?」
「ああ」
 先月買ったばかり、店頭で並んでいた分では一番軽い携帯だ。薄いし、使いやすいしで気に入っている。
 だが、得意満面の俺に対して、やつは「ふうん」と気のない反応を示しただけだった。何だ、使い方がわからないから諦めたのか。
「ずいぶん重いんだね」
 次に飛び出た言葉に俺は目を丸くした。重いって? 軽いんだよ。そりゃ初めて携帯持ったやつにはわからないだろうが、それでもこれを「重い」っていうのはないだろう。俺は店に行った時、軽さにビビったぞ。
「これでも軽いと思うんだけどな。最新の携帯では一番軽いやつだぞ」
「そうなの?」
「そうさ、これより軽いやつもあるけど、これだって相当のもんだと思うぜ」
 そう言うと、やつはまさかと笑った。まさかって。そりゃ機能が限定されてるやつじゃないのか、もっと軽いってのは。
「だって、僕の携帯だってもっと軽いよ」
「携帯? お前携帯持ってるのか?」
「うん」
 冗談かと思ったが、やつはベッドの足元にある机の横をごそごそと漁って、何か薄っぺらい名刺入れのようなものを取り出した。銀色で、一見とてもじゃないが携帯には見えない。
「ほら」
 手渡されたものはめちゃくちゃ軽かった。厚めのカードを二枚重ねた程度、手に持っているのを一瞬忘れそうなほど軽い。これは携帯じゃないだろう。誰かに携帯だって言われたか、こいつが俺を騙そうとしているかのどちらかだ。
 さっきやつがしたように表を返したり裏を見たり。だがボタンもなけりゃ何もない。ただ、銀色の金属があるだけだ。
「これさ、マジで携帯なの?」
「うん。そうだよ」
 そうだよ、じゃない。これが携帯って言うのなら見せてくれよ。電話してみてくれよ。
「ちょっと貸して」
 携帯が悟飯もどきの手に渡ると、何もなかった金属の部分に赤いライトが灯った。そのライトが緑に変わったとたん、金属の板に切れ目が入り、すーっと動く。そう、ちょうど、横のボタンを押すと液晶部分が上にずれてボタンが出てくるタイプのやつと同じだ。もちろん、そこには番号の書かれたキーが出現する。
 何がどうなってるんだ。こんな近未来的な携帯初めて見たぞ。確か、携帯産業では日本はトップレベルだって……としたら、日本でこれが発売されてないはずはない。出たら絶対に売れる。最高に売れる。でも日本では売られていない。それなのに、言っちゃ何だかこんな山奥に住んでるやつが、そんな携帯を持っている。いったいどうなってるんだ。
「それ、どんな仕組みなんだ?」
 思わずそう尋ねると、悟飯もどきはふと考えるようなポーズをとり、
「さあ。僕も詳しいことは知らないんだけど。とにかく指紋認証式で、指紋登録している人だけが使えるってやつなんだ。今はもっとセキュリティの高いやつも出てるけどね」
「……っそれは最新型じゃないのか?」
「うん。だって、僕がこれ買ったのもう二年前だもの」
 二年前。そんな前に、こんな携帯が出てたのか? その前に、その携帯は流通してるのか?
「えっ、だってこの携帯、一番大手のだよ」
 悟飯もどき曰く、携帯業界は大きく分けて三つの会社が凌ぎを削っているらしい。そのうち一番シェアがでかいのが、こいつの持ってる、この携帯を販売してる会社だとか。話に聞くと、何より性能を追求してるとかで、それがいいとやつは言う。つまりは実利主義ってことだな。
「そんな大げさなものじゃないよ。ただ、使いやすいなって思って買っただけだし。うち、大学の敷地がすごく広い割りに公衆電話もあまりなくって。受験行った時にいろいろ困って、それで入学する時に買ったんだ」
「へえ、それが二年……あれ? お前、来年院行くって言ってなかったか?」
「うん、言ったよ」
「だってまだ三年生だろ。院行けないじゃないか」
「なんで?」
 なんでってお前、大学は四年制で、ってあれ。もしかして短大か。ならわかる。あれ? ってことは留年か?
「留年はしてないよ」
「いや、四年制だったらまだ三年生だろ。それなのに院って」
「だって僕、単位は全部取れちゃったもん。院試にだって合格したし」
 うーん。よくわからない。つまりこいつは大学に行ってて、院に合格して。あーっ。もう、くそっ。わけがわかんねえ。
「ちょっと待て。お前今年いくつだ、何歳になる」
「二十歳」
 俺より九歳も下かよ。世代の差を感じるぜ。ん? 二十歳?
「二十歳だったら、三年生じゃなくて二年生だろう」
「違うよ。三年生だよ」
「何でだ。携帯買ったのが二年前だったら十八、高校三年じゃないか。それで四年制の大学卒業って無理だろ」
 はーん。もしかしてこいつ、大学行ってるってのも嘘なのか。大学のこと自体よくわかってないってことだな。……だが、顔を見ても、嘘がばれそうだという焦りはちっともない。
「意味がわからないな。十六、十七、十八って高校に行っただろ」
「ううん。高校には十七までしか行ってない」
「中退か?」
「違うよ。十六の時に二年生に編入して、十七で卒業。で、その春から大学行って、一年飛ばして来年の春卒業。だから大学一年生で十八、そのまま十九、今年で二十歳。わかる?」
「本当なら、高校は三年、大学は四年の計七年行くとこを、五年で終えると。そういうことか」
「うん、そういうこと」
 ……参った、参りましたよ。お前あれだな。前にニュースでやってた、十何歳だかで大学卒業したすごい少年と同じだ。俺らとは生きてる世界が違う。俺なんか、大学四年目に卒業単位足りなくて、教授に土下座しに行ったクチだぜ。内定決まってますんで単位ください、単位のためなら何でもしますって。留年しなかったこと自体が奇跡だ。何だかなあ。お前に謝りたいよ。しょうもない人間ですみませんって。
「ねね、そんなことよりさ。この携帯の使い方、教えてよ」
 そんな素晴らしい学歴を『そんなこと』と言い放ち、悟飯もどきは俺の携帯を指差した。そうか、お前は自分の学歴自慢よりも他人の携帯の方が好きな男なんだな。ちょっと見直したぜ。俺は学歴自慢するやつが大嫌いだ。まあ、自分のコンプレックスだってことはわかってるけどな。
「まず、このボタンを押すだろ」
 言って、横のボタンを指差すと、やつはおそるおそるボタンを押した。中のフックが外れて画面がスライドし、ボタンが出てくる。
「へえ、機能は変わらないんだね」
 ユニバーサルデザインってやつは偉大だ。初めてのやつでも、ある程度機械に慣れていたら操作できる。悟飯もどきは勝手にボタンをぽちぽちと押して、今は出てくるメニューに夢中だ。
「音楽かけてもいい?」
「写真撮ってもいい?」
 そういちいち聞きながら、案外スマートに使いこなしていく。やっぱり頭の出来が違うと、理解レベルも違うのかな。着メロを聞いたり、何だとしていたその時、悟飯もどきがあっと声を上げた。
「この番号……」
 どうやらいじくっているうちに発信履歴を見たらしい。
「これ、ブルマさんちの番号……」
「ああ、それな。会社の受付に電話したんだけどな」
 答えながら俺は内心パニックになっていた。何だって、ここまで話ができすぎてるのはおかしい。孫悟飯ってやつがいて、ブルマって女がいて、その二人が知り合い。やっぱりこれは神隠しじゃない。夢だとわかった。しかしこんなリアルな夢は見たことがない。会話して喧嘩して、歩いて疲れて熱出して。どれもやたらリアルで感触もたっぷりあってって、これはもしかしてヤバい類の夢じゃないのか。よくあるだろう、臨死体験とか。もしかして俺、電車の中で心臓発作とか起こして、瀕死状態だったりするんじゃないだろうな。そういや、こないだネットで遊んだゲームであったな。瀕死状態の夢の中で、部屋から脱出するゲーム。もしかしてその類ってやつが現実にあるのかもしれない。
「ブルマさんと知り合い、ってわけじゃないんだ。カプセルコーポの社員でもないよね?」
 悟飯もどきはまだ、俺がこの世界で生きてる人間だと思っているらしい。違うんだ、お前は俺の夢なんだ。これから覚めて俺は生きるか死ぬか。きっと現実世界ではそうなってるに違いない。
 現実味がないとか、思い込みにも程があると言われるかもしれないが、でもな。じゃあこの状況を的確に説明してくれ、と言われてもできないんだからしょうがない。どうやらここが俺の知ってる地球じゃないとわかった以上、そう考えるしか道がないじゃないか。
「そもそも、社員だったら会社に電話するはず」
「だから、俺は会社に電話したんだ。最初は部長に電話したが知らないおっさんが出た。切られたんで、今度は受付に電話したらそこに繋がったってわけさ」
「この番号が間違ってるって可能性は?」
「受付には昨日の朝、用事があって電話した。部長には夕方、出先から電話した。その時にはどっちも繋がってたのが、たった一日で別人の家に通じるって考えられるか?」
「確かに……ブルマさんちは前からこの番号だから、間違えるわけがないね」
 そこまで言って彼は黙り込んでしまった。椅子に座って脚を組み、片手で俺の携帯をぷらぷら振りながらも、顔はいたって真剣に何かを考えてるみたいだ。きっと今、あの頭の中では色んな予想が生まれては消えとしているのかもしれない。
「不思議だ……」
 俺だって不思議だよ。
「例えば、もしもの話だよ。君の住んでいた世界が、この世界と別の次元にある世界だとしたら。空間の捩れが出来て、君が迷い込んでしまったってことも考えられる」
 えっ。いきなりそんなSF世界に話が飛ぶのか。やっぱり夢だな。
「君はどう思う?」
「えっ? そりゃそういう話もなくはないかもしれないけど……はっきり言うと、俺はこれは夢なんじゃないかって思う」
「夢?」
「夢ん中でこんなこと言うのも変だけどさ、現実の俺はきっと何か理由があって目が覚めない状態だと思うんだ。それで俺はこんな夢を見てる」
「夢だって?」
 がたりと椅子を鳴らしてやつが立ち上がった。
「そんなことがあるもんか!」
 大声が狭い部屋の中に反響する。すぐそばで怒鳴られた俺は、耳が一瞬おかしくなった。
「これが夢なんだとしたら! 僕がしてきたことは、今生きてることはどうなるんだ!」
「あ、あのさ……」
「夢だって言うなら、これが夢ってことを証明してくれよ!」
「わ、わかった……」
「何が!」
「わかったよ。お前の意見に賛成だ!」
 勢いに任せてそう叫ぶと、やつの動きはぴたりと止まった。まるで人形みたいにじっと止まったまま動かない。
「……どういうこと?」
 賢いのに判断鈍いぞ。
「つまり、夢っていうのはとりあえず控えとく。お前が言ってるそのSFみたいな説を支持するよ」
 改めて言い直すと、悟飯もどき――ええい、もう悟飯でいい――は、ようやく瞬きをした。
「え、えっと。どうしよう。僕の話もあくまで可能性だし……そ、そうだ! 神殿に行こう! うん、それがいい!」
 いきなり神頼みかよ! しっかりしてくれよ。もうちょっと自分で、その賢いオツムでいろいろ想定してくれよ。
「で、でも。そういう超常現象はよくわからないし……ピッコロさんに聞いたら、何かわかるかもしれない!」
 ついに出た、頼みの綱の『ピッコロさん』。でもな、俺の記憶が確かならば、セルが出てきた時に地球の神様っていうのは交代してるはずだ。あのナメック星人の……何てガキだったかな。そいつに。ピッコロ大好きなのはわかるけど、そいつの顔立ててやれよ。それともあいつは神様クビになったのか?
「すごい。そんなことまで知ってるんだね」
「えっ? マジでクビになったのか」
「ううん。神様はデンデだよ」
 ああ、それだ。デンデってやつだ。でもまずクビじゃないってとこを突っ込んでくれ――。
「兄ちゃーん。ご飯できたよー」
 ん? 誰だ今の声は。しかしメシか。忘れてたけど、腹ぺこぺこだ。
「あっ、どうしよう。あ、あの、おなかすいてる?」
「そりゃもう最高に。もう一日何も食ってないんだ」
 言ったとたん、悟飯はえっと声を上げた。
「一日?」
「うん、そうだな。昨日の七時から食べてないからな」
「えーっ! じゃ、じゃあ神殿は後回し! ご飯にしよう! あっ、起きられる? 持って来た方がいい?」
「いや、食べに行くよ」
 ベッドから起き上がり、勧められたスリッパをはく。が、どうにも裾が余っている。よく見てみれば、俺はパジャマを着ていた。そうか、スーツが壁にかかってただけじゃなくて、着替えさせられてたんだな。……この際、誰がやってくれたのかは、知るのが怖いので問わずにおこう。
「あっ、服はね、汗かいてたから脱がしちゃった」
 知りたくもないのに、自分から言ってくれちゃったしな。悲しいぜ。何で男に脱がされにゃならんのだ。まあ、時間は巻き戻せない。今やることが先だ。
「どうしたの?」
 屈んだ俺の頭の上から声がする。
「いや、ちょっと裾を……」
 視線を合わせてきた悟飯に答えて、俺は裾を巻き上げることにした。いくら漫画のキャラとはいえ、脚の長さで負けるのは悔しい。だが、裾が余ってるのは夢でも何でもなくて現実なんだな。どうなってるんだ、本当に――。
「うわっ」
 そうして、手頃な長さに裾を巻き、ふと顔を上げようとした瞬間、俺は前につんのめった。どうもバランスを崩したらしい。
「だ、大丈夫? やっぱり寝てた方が……」
 だが、かけられた心配の声に、俺は無言で首を振った。口が塞がれて喋れないこともあるが、何より虚しさが湧いてきて声にならなかった。
 ……ああ、こいつの大胸筋は何て固いんだ。どうせなら、Eカップくらいのお姉ちゃんにダイブしたかったぜ。

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