文字サイズ: 12px 14px 16px [October〜愛・哀・引越戦記〜]-01-

「取り壊し?」
「そう。だから引っ越さなきゃいけないのよ。はい、回覧板」
 目を丸くした私に対して、冷静に回覧板を突きつけてきたのは心霊に凝っている謎の隣人さん。
「だけど、そんな急に」
「もともとは今年の三月で潰すつもりだったらしいわよ。だけど業者探してるうちにこうなったみたいで、ようやくこの変な時期に、ということらしいわ。まあ、管理人さんももう八十五だしね、しんどいらしいわよ、正直言って」
「だけど、これからどうするの?」
「息子さん家族と住むんだって。こないだ言ってたわ」
「いや、そうじゃなくて私たち」
 新しいとこ探せって言われてもこんな急じゃ、どこも探しにいけないわよ。ちょうど文化祭の準備で忙しい時期なのに。せめて、あと二週間早かったらよかったのに。なのに彼女は「さあ」と気のない返事をして。
「新しいところを探すか、そこに引っ越すかってとこね」
 そう言って、手渡したばかりの回覧板を指差してきた。どれどれ、住所からいって今使ってる校舎にはちょっとだけ近くなるわね。しかもこの間取りだったら、今とまったく変わらない。これはなかなかの良物件ってやつかしら。
「管理人さんのお知り合いで同じようなアパートやってる人がいるらしいのよ。ここの部屋も余ってるらしいし、全員ここから引っ越しても四人じゃない。今までと同じ家賃で引き取ってくれるそうよ」
「えっ? そんな無理してもらっていいのかなあ」
「無理も何も」
 ふと彼女はため息を漏らした。
「そっちのアパートの方が三千ゼニーほど安いって話」
 ええーっ。それって損って言うんじゃ。――ま、家賃が変わらないだけマシだけど。
 友達も笑い転げるようなおんぼろアパートに住み始めて三年半。もちろん、決定はその家賃の安さだった。だって、一人暮らしってどれだけお金かかるのか想像もつかないじゃない。下見に来た時にちょっと……とは思ったけど、他のアパートを借りれば五万近くはする。どうしても家賃は少ない方がいいって考えてたから、ここの三万六千ゼニーっていうのはまさに破格ってやつ。セキュリティがどうだとかお父さんやお母さんは心配したけど、管理人さんもいい人だったし、何より、こういうレトロなアパートもいいかな、なんて思って引っ越してきたのに、まさか自分が大学を出る前に出なきゃいけないことになるなんて。
 そりゃ、友達の住んでる『ワンルームマンション』なんてのにも惹かれるわよ。だけどね、ここ六畳と四畳半一間ずつでキッチンもトイレもお風呂もついてるの。収納も大きな押入れがついてるの。いわゆる普通の2DKってやつ。2DKってワンルームよりちょっと贅沢な感じするじゃない! しかも、私は真ん中のふすまを外してるから、一気に十畳の広さ! まあ、その実態はナメクジが窓に張り付くちょっと暗いお部屋なんだけど。文句は言わないわよ。だって安いんだもん。
 そんな安さを基準にしてる私は、管理人さんの最後の心遣いもありがたく受けることにした。だけど大変だったのはそれから。三年間ためにためまくった荷物をまとめるのはちょっとやそっとじゃできないことよ。たんすに入れてた服をまとめて、本をまとめて、他の細かいものをまとめて。それをバイトから帰ってきて寝るまでの少しの時間でちびちびやって、最後の夜にごみをまとめて。
 そしてついにやってきた引越しの日。あれから半月、十月の晴れ渡った高いたかーい秋空の下、集合をかけたのはもちろん、いつも元気いっぱいの悟飯くんといつも不機嫌全開のピッコロさん。
「何でオレが手伝わねばならんのだ」
「だって力あるでしょ。私一人じゃたんすなんてとても」
 わざとらしく首を振ると、頭の上から舌打ちが降ってきた。これは実家から持ってきたたんすの話。せめて衣装ケースだけでもカプセルにすれば、引越しもちょっとは楽なんだけどね。カプセルって普通のに比べてやっぱ、ちょっとだけ高いのよ。そこをけちったのはまずかったわね。おかげで、部屋を覗き込めば、十個近いダンボールが。見れば、あのまとめるのに苦労した日々が蘇って――。
 実は、ピッコロさんが手伝ってくれるのは、悟飯くんの説得だけじゃない。地球の神様、デンデくんの協力もあるってわけよ。
 引越しも近づいたある日、私は神殿に赴いた時に「お願い」したってわけ。そしたらデンデくん、
「大丈夫! 僕が絶対に説得してみせますよ!」
 と、どんと胸を叩いてくれたので、わくわくどきどきして迎えた今日この日。目の前にはちゃーんとピッコロさんがいるじゃなーい。グッジョブ、デンデくん!
 この日を選んだのにももちろんわけがある。実は、アパートを出るのは私が最後なのね。何で最後にしたかというと、悟飯くんはまだしも、ピッコロさんはあまり人に見られたくなさそうだなあ、って配慮したの。だいたい、あの分離の一件以来、ピッコロさんは私の部屋の中には入りたがらないじゃない。それに輪をかけて人嫌い。他人が残ってるなんて聞いたら、絶対に手伝ってくれないもの。
 そして何よりの問題はその搬出方法にあるってわけ。一応友達から車は借りたけれど、それだけじゃ何往復すればいいのかわからない。荷物も大きいものは詰め込めない。と、そこで頭を悩ませたの。引越し業者はどうしても高くつくからなるべく使いたくない。そうこぼした私に悟飯くんが「僕が武空術で運んであげます!」と最高の申し入れをしてくれたのね。
 そうとなれば話は進む。一人より二人の方がいいってんで、ピッコロさんにも協力要請とあいなりました、と。
 ――ただ一つ。ピッコロさんにも悟飯くんにも黙ってることがあるんだけど。ま、それはきっと大丈夫よね。さあ、さっさと荷物を運んで新生活スタートよ!

* * *

 と、意気込んでみたのはいいけれど、私は今、新しい部屋の畳の上に正座して、思いっきりピッコロさんに怒られてる。何で怒られてるかというと、隠してて楽観視してた最悪の事態が今目の前にあるわけで。何で、悪いことに限って現実のものになるの。教えてデンデくん。私、泣いちゃいそう。
「ピ、ピッコロさんも落ち着いて……」
「これが落ち着いていられるかっ」
「別に構わんではないか。少しくらいこんなことになったくらいでカリカリするでない」
「貴様は黙ってろ!」
「こらこら、親という立場の者に向かってそんな口をきくものではないぞ」
「貴様も黙ってやがれ、この野郎!」
 喧嘩はやめて〜ってお母さんが好きな歌にあったような。私のために争わないで、とか。いや、原因は思いっきり私なんだけど。私が全面的に悪いんだけど。
「だいたい、貴様が楽観視していたのが原因だろうがっ」
 はい。その通りすぎて、返す言葉もございません。
 ええと。正直に告白するとこのアパート、風水的に悪い場所に建ってるらしい。もちろん、あの隣人さん(というより、今回も隣人なんだけど)のお話。前にいたアパートのずずっと南西に来た場所にあって――つまり裏鬼門な上に、ここもばっちり霊だの何だのの通り道ってこと。しかも、もともとこの場所は墓地。そりゃあ、色んな霊がそれこそすし詰め状態でいるってわけよ!
 いや、今はそんな自慢?してる場合じゃない。見えない何かよりも、見えてるこの怒れる緑の人を何とかしなきゃ。霊に怯えるより前に私が霊になっちゃう。
 そもそも、この問題はピッコロさんの謎の体質にある。いや、体質って言っていいのかな。ナメック星人は自分の意思で同化や分離ができちゃうっていうのは、出会ってすぐ悟飯くんから聞いた話だけど、そこで強調したいのはあくまで「本人の意思で」ってことなのね。
 ところがどっこい、ほんの一ヶ月半前にそうじゃないってことが証明されてしまった。つまり、こう幽霊がわんさか出るとか本当に出るとか言われている場所の中には、本当にやばい場所があって(ここら辺は神様の知識をもってしても説明不可能らしい。まさしくこの世のミステリー)、そこにい続けると、なんと同化した相手と勝手に分離しちゃうってこと。まあね、私は霊感なんてものはこれっぽちもなくて、前のアパートだって、そういう場所だって言われるまでまったくわからなかったくらいだから、その時になるまで、この手の場所が同化したナメック星人に影響を及ぼすなんてことも知らなかった。
 ところが、分離してしまったのよねえ。同化したはずの、純ナメック星産ネイルさんとピッコロさんが。その時はもう、本当に大変で――って私はちっとも大変ではなく、ピッコロさんが、だったんだけど。だけど、何とか再び同化できたからよかった。ところが、よく足を捻挫すると癖になるってのと一緒で、この一件以来、分離するのが癖になっちゃったみたい。ピッコロさんは持ち前の学習能力で私の部屋には近づかないようになったんだけど、それから一ヶ月後、またしてもそんな事態が。そう、ちょうど引越しが決まる前の週だったかな。ちょっとしたアクシデントで、今度はまあ、目の前に分離しちゃった元神様が。その時はその時で、己の身に降りかかる火の粉を払ったわけだけど、二度あることは三度あるとはよく言った。昔の人はすごいわ。今まさにその三度目、最悪の状況っていうのが目の前に広がっている。
 必死になって周りを見渡せば、ただひたすらおたおたしてるのが一人、無関心が一人、申し訳なさそうにこっちを見てるのが一人。こんな状況なのにふと、地球人率が低いなんて馬鹿なことを考える。だってねえ、ナメック星人が三人、サイヤンハーフが一人、純粋な地球人は私一人よ。言っとくけどここ、地球よ。
「おい、貴様。聞いてるのか」
「きっ、聞いてます、聞いてます!」
 いきなり胸倉を掴まれてじたばたしたのも束の間。それは悟飯くんが引き剥がしてくれたからよかったものの、肝心のピッコロさんはとてもじゃないけど、落ち着いてるって感じじゃない。つーか、いつもの三割増しで怖い。
 ああ、ダメね。ここまで怒られちゃ、私に怒りを鎮めるすべは皆無。まさしく、神様に祈るのみ、ってこと。
 だけど、神様は意外と近くにいた。いや、正真正銘の神様が目の前にいるけどそうじゃなくて、比喩的表現でってことよ。
「こうなってしまったのは仕方がないだろう。お前も子供ではあるまいし、少し冷静になったらどうだ」
 う、うわー! そんな火に油を注ぐようなこと言っちゃダメ! そう慌てた私の目の前で、ピッコロさんがぴたりと黙った。そして。
「誰が子供だ」
「お前だ」
 ネイルさんがあまりにもさらりとそう答えてしまったもんで、ピッコロさんは一瞬あっけにとられたような顔をして、すぐさま苦虫を噛み潰したような顔になった。こ、これはプライドをいたく傷つけられたんじゃ。
 確かに怒りの矛先を変えてくれたのはいいんだけど。それはいいんだけど、これ以上騒ぎが大きくなって戦闘開始!ってなっちゃったら、間違いなくこのアパートは崩壊するわ。だとしたら、もう私には行く場所がないのよ。卒業までどうやって生きていけっていうの!
 どうしよう、と悟飯くんに助けを求めたら、悟飯くんは悟飯くんで、ぽかんと口をあけて二人を見てた。ううっ、どうにもならなさそうね。ならば元神様――って、これは笑いを堪えるところじゃないと思うんですが。
 結局視線は目の前のにらみ合ってる二人へ。いや、それは違うわね。にらんでるのはピッコロさん一人で、ネイルさんは余裕綽々といった顔。こんなところではっきりと差が出るのねえ。って、感心してる場合じゃない。この状況を何とかしないと、引越しが終わるどころか、私の人生が終わる。
 と、そこに次の助け舟。外から聞こえた車のエンジン音に皆の緊張がふと解けた。これはチャンス!

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