文字サイズ: 12px 14px 16px [October〜愛・哀・引越戦記〜]-02-

「あ、あの。荷物、取りに行ってもいい? 一応……」
「荷物?」
 いやだから、あなたの顔は怖いんです、ピッコロさん。
「そう。ほ、ほら、ここっていくら治安は悪くないっていっても、ずっと外に荷物置きっぱなしじゃ、どうぞ持っていってくださいって言ってるようなもんだし、アパートの人も今日はけっこう出払ってるけど、いつ帰ってくるかわかんないし、家の前に車停めてたら迷惑になるし! だから先に荷物持ってきてそれから――」
「ふざけるな! 貴様、物事の順番もわからんほどの馬鹿か」
「まあ、落ち着けピッコロ。彼女とて悪気があったわけではないだろう」
「悪気がない? こんな重要なことを黙っておいて悪気がないだと!?」
 そ、それはごもっとも。だから、全面的に悪いのは私です。
「で、でもね! 聞いて! 私、一回同化しちゃったし、今度はもう大丈夫だろうって思ってたの。本気で思ってたの! 別にピッコロさんを怒らせようと思って黙ってたわけじゃないし、こんなに簡単に分離しちゃうなんて思ってもみなかったの!」
 だって想像できる? 確かにここは場が悪いって言っても、同じことが何度も起こるなんて思わない。ましてや前は数時間も経ってやっと二人は元に戻ったのよ? それが、部屋入り込んでいきなり三人に分離するなんて予想できるわけないじゃない。しかもくっきりきっぱり実体化までして。
 窓から入ってきたピッコロさんの分離はそりゃもう、ちょっとしたスプラッターだった。いきなりうめいてうずくまったかと思えば、ずずっと体が出てきて、それが一人、そしてもう一人――ああ、思い出したらちょっぴり気分悪くなっちゃった。そこらの映画よりずーっと怖いわよ。いやいや、私は何も見なかった!
 ところで、足にすがりついた私をピッコロさんは引き剥がそうとしたんだけど、それを阻止してくれたのは神様だった。
「とにかく、この娘の言ったことをするのが先じゃ」
「だからオレは――」
「とやかく言わんとさっさと動かんか! 近隣住民の迷惑になるじゃろうが!」
 おおーっ。ほんの半月前に、迷惑行為を行った人とはとうてい思えない。さすが神様。ちゃんと神様然としたところもあるのね。って、これまた感心してる場合じゃなくて、これに便乗しなきゃ。
「と、とにかく。私、荷物見てくるから!」
 そう言って駆け出すと、「僕も!」と悟飯くんが追いかけてきた。
さん一人じゃ運べないでしょ」
「ありがとう」
 ふとため息をついて、車を見ながら階段を下りて――。
「ない」
「えっ?」
「車が、ない!」
 確認したとたん、私は転がるように階段を下りた。だって、ここに停めてたはずなのに! ここに、紺色のワゴンがあったはずなのに!
「あれ?」
 後ろからふいに声がして振り返ると、一階の部屋のドアから顔を半分出したお兄さんがこっちを見てた。
「さっき、出てったんじゃないの?」
「え?」
「さっきさあ、あのワゴンのエンジン音が聞こえたから、てっきり出かけたんだと思ったんだけど」
 俺、車好きでさあ、というお兄さんの言葉を遮ったのは悟飯くん。
「あ、あの。どっちの方向に行ったかわかります?」
「ごめんよ。そこまではわかんないや。――友達とかじゃないの?」
「違います、違います!」
 だって、お友達じゃないけど、私が連れてきた残りの人は、みんな私の部屋にいる、しかも一人として車なんて運転できないもの。慌ててそう答えると、ちょっとぼんやりとしていたお兄さんもきりっと顔を引き締めて。
「警察に電話、する?」
「お願いしてもいいですか」
「うん。車種はわかるからかけとくよ」
「ありがとうございますっ」
 携帯を取り出したお兄さんにお礼を言ってくれた悟飯くんに抱えられて、私は部屋へと戻ってきた。もうね、自分で歩く気力なんてない。だって、私の荷物が、そして友達から借りた車が。盗まれちゃったんだもの。ああ、私の荷物はどうにかなるとして、車はどうしたらいいの。友達の車なのに。人もそんなにいないからって油断してキーつけっぱなしにしてた私が悪いんだわ。どうして今日に限ってこんなに不注意なんだろう。もう泣きたい。ってより、涙で目の前がにじんできた。ほんと、どうすりゃいいの。
さん、泣いてる場合じゃないですよ。手分けして僕たちも探しましょう」
 うん、と答えたけどどうやって探したらいいのか。ああ、部屋の中の問題も片付いてないのに。こんだけ悪いことが重なるって、やっぱり場が悪いってやつなのかしら。しょっぱなからこんなんで、これからの一年半近くどうして過ごしていけばいいの。
「車がなくなった?」
 伝えて最初に声をあげたのはピッコロさんだった。
「だって、ちょっとの間のつもりだったんだもん。まさかこんなことになるなんて思ってなかったし、荷物置いてすぐまた戻ってって……」
「お前の読みが甘かったんだろう」
 そうなんだけど。いつもの容赦ない言葉が、普段以上に胸に刺さるわ。
「盗んだやつは見ておらんのか」
 神様の言葉に首を振ると、そこにいた全員がため息をついた。ただ一つ心当たりがあるとすれば、一階のお兄さんが、そして私が聞いたあのエンジン音だけど、時間から考えて、もう結構な距離にはなってると思う。あれがだいたい十分ほど前だから、まだ高速の入り口ほど遠くには行ってないとしても、自転車や徒歩ではとうてい追いつけるようなもんじゃない。そもそもどこに向かったのかもわからない。やっぱり、おまわりさんに任せた方がいいんじゃないのかしら。
「でもね、僕たちで探せばきっと見つかると思うんですよ」
「馬鹿言え。何でオレがこいつの尻拭いをせねばならんのだ」
「でも、盗みなんですよ? さんの荷物と車が、盗まれてるんですよ!」
 正義感の強い悟飯くんはいつもより少しだけ声を大きくしてピッコロさんに詰め寄った。だけど、もちろんピッコロさんがそんなことで動じるはずがない。ただ、その隣の神様とネイルさんを見ればうんうんと頷いているのがわかる。
「だいたい、こいつがほったらかしにしているのが悪いんだろうが」
 吐き捨てるように言ったピッコロさんに続く人はいなかった。しんと静まり返った部屋の中、響くのは私の鼻水をすする音だけ。何だか、情けないったらありゃしない。何もかもが悪い方向に行っちゃって、どうすればいいのかもわからない。
 でもそこに、ふと小さなため息が一つ。
「ならば、そうされていたものは横取りしていい、と地球の掟ではなっているのか」
 ふとネイルさんが疑問の声をあげて、
「そんなわけないじゃない! 絶対に取り返してやるんだから!」
 思わずそう叫んだら、結果は決まっちゃったみたい。
「よし、私はその車を探しにいくぞ。きっと見つけてやるから、そんなに泣くな」
 大きな手でぽんぽんと頭を叩かれたら緊張がほぐれちゃって、余計に涙がぼろぼろと。そばに置いてた汗拭き用のタオルに顔を押しつけて、あーともうーともつかない声を出したら、今度は悟飯くんが心強い一言をくれて、ますます涙が出てきた。うん、私は恵まれてる。こんな優しい人たちが周りにいるんだもの。
 でも、感動とかで泣きまくっていた私は、とんでもない言葉を聞いて、ぐちゃぐちゃの顔をふと上げた。
「今、なんて言った?」
「だから、車とはいったいどんな奴なのかと――」
 もももももしかしてネイルさん、車って何か知らずに言っちゃった? どうやって探す気でいたの? 車は機械だから、気を探るとか、そんな超人的な方法は一切通用しない相手なのよ。そう、そういう人が車を探す方法って何なのかな。ええと、エンジン音で探すって手もあるけど、あの車のエンジン音を具体的に表現はできないし、きっと同じエンジンを搭載してる車だったら同じ音がするだろうし、車種によっての音の違いってよくわかんないし……ああ、何だか混乱してきた。
 だけど、パニックになってしまった私とは違って悟飯くんは至極冷静だった。
「車っていうのはですね、ハンドルを操作することによってシフトと連携した車輪が動き、それをソーラーやガスで作り出した電力によって動かす移動用の機械です」
 そう説明したとたん、今まで眉間(の辺り)にしわを寄せていたネイルさんの表情がぱっと明るくなった。
「なるほど、動く物なのか。機械ということは生き物ではないんだな」
「はい。切り替えによって前後に動く機械です。それでですね、素材は……」
 ちょっと待って、だんだん落ち着いてきた。今は車という機械の詳しい説明をする時じゃなくて。探さなきゃいけないのがどんな車なのかを伝える時なのよ。ええと、紙とペンはかばんの中に。
「ちょっとこの紙を見て」
 悟飯くんを遮って、代わりにさっさと盗まれたワゴンの絵を描く。別に絵が得意なわけじゃないけど、おおよその形くらいは描けるわよ。
「盗まれたのはこういう形の車。それでね、上から見るとこういう形になって……そうそう、ナンバープレートというのが前と後ろについてるの」
「ナンバープレート?」
「そう。数字や文字を組み合わせた、その車の識別コードね。これくらいの大きさで」
 手でナンバープレートの大きさを作って、さらに忘れないよう手帳に書き込んだナンバーを教えると、紙を覗き込んでいた皆が口の中で繰り返してるのが聞こえた。これでナンバーはばっちりね。
 次は色だけど、残念ながら色ペンも色えんぴつもない。どうやって紺色を説明したらいいのか、一瞬言葉に詰まったけれど、目の端にちらりと映ったものを見た時にこれだ!ってね。
「色。この車のこの部分の色はこの色!」
 私が引っ張ったのは、ネイルさんの上着の色だった。そう、その色はまさしく、車のボディの色!
「つまりこの色のこの形の動いてる機械を探せばいいんだな」
「それとナンバーね」
 大丈夫?と悟飯くんに目を向ければ、力強く頷いてくれた。ああ、これほど頼りに思えたことがあったかしら。すごい。後光が差して見える。
「さあ、情報はばっちり。探しに行くわよ!」
 何が何でも犯人捕まえてぼこぼこにしてやるんだから! そう決めたら力がわいてきちゃった。やるわよ、絶対にやるわよ! 化粧が取れるのなんて気にせず、私はタオルでぐいと涙と鼻水を拭った。
「ほら、お前もいつまでも拗ねているな。行くぞ」
「だっ誰が拗ねやがる!」
「お前以外に誰がいるんだ。だいたい、私と分離しても前のように弱っているのではないのだろう。その力を少しは役に立てるといい」
 あ、あのう。そこのお若いナメック星人お二人さん。なるべくなら喧嘩はしないでいただきたいのだけれど。というよりネイルさんはピッコロさんをあまり刺激しない方が……。
「まあまあお二人とも。とにかく今は探しに行きましょう、ね?」

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